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連日報道されている大津市のいじめ自殺に関連する報道で,標記のような表現があったそうで,同じ教育者の発言とは思えず,大変驚いています。いじめで自殺に追いやった子どもたちの人権を最優先するなら,死んだ子の人権はどうなるのでしょう?言わば,殺人者(または殺人教唆)の人権を優先して,殺された生徒さんは,死人に口なしという妙な言い分です。
友達をいじめて殴る蹴るの暴行を加え,自殺の練習までさせたそいつらに与えられる権利と言えば,「弁護士を呼ぶ権利」と「自分に不利益なことは話さなくて良い権利」だけだと思うのですが・・・。私の認識では,いじめは立派な暴行罪で,刑法犯なので,むしろ学校側は進んで犯人を突き出すべきだと思っているのですが・・。まあ,いじめの現場を笑ってみていたという素晴らしい先生のおられるその学校では,やられる側が悪いのでしょう。 最近の風潮として,日頃から,教職員の中に,感情的に怒鳴りつけるような指導を忌避するような雰囲気があり,何でもアサーティブな,猫なで声で指導しなければ力量がないような,勘違いがまかり通っています。子どもたちが教員を呼び捨てにするような環境で,そもそも授業や指導が成立するはずはないのですが・・・。 まあ,そんな地元の町で,長年ボランティアで小学生女子バレーの指導をしているのですが,今日の練習中に,いじめにつながりかねない「いやがらせ」的な態度を取る子がいたので,思いっきり怒鳴りつけてやりました。大人が,これだけ真剣に,心から怒っているようなことをあなたは今したんだよ!ってことを心から分かってもらうためにです。 いじめる側に言い分などないし,それを少しでも認めた瞬間に教師もいじめに荷担したことになる。時には感情もむき出しにして,悪いことは悪いとはっきり指導する。それは教師としての力量がないのでしょうか・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年07月09日 23時23分22秒
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