テーマ:☆詩を書きましょう☆(8464)
カテゴリ:詩
人生の意味 南風一 この世に生まれて「良かった」と思う「時」はあったか? と尋ねれば 「確かにあった」 それは中学生のとき数学テストで満点を取ったときでもなく 中学生のとき高校入試模試で校内順位が5位か6位になったときでもない 一浪して第一志望の大学に合格したときでもない 首尾よく理工系大学院に進学できたときでもない 大手製薬企業にシステムエンジニアとして就職したときでもない 大学時代に身の振り方が分からなくて 一年留年して数学ゼミで数学を教わった先生の存在だったかな と今から振り返れば確かにそう思う 大学に入学した頃から知っていた数学の先生だったけど 数学を受講したときの印象はただ黙々と数学の公式や定理を証明して 問題を解いていくマシンのような教師というのが最初の印象 「90分間淡々と数学の公式や定理を書いて、ただ淡々と問題を解いていく先生だから 余程数学が好きなのだろうとただただ感心して眺めていた」 「数学に取り組むことが命みたいな先生は、確かに存在していた」といった 余り人間味から遠くかけ離れた対極に位置する宇宙人のような部類の先生かなと 感じていた ところが大学を留年して5年目に数学の先生のゼミに所属してみると その人間臭さに驚いた 先生が数学を教えたり数学の本を書いたりしているのは ただ生計を立てるためという普通のサラリーマンに過ぎないという暮らしぶり というか、考え方にまず驚いた 先生を取り立てて崇める必要もないが かと言って数学教師として世渡りをしている先生のその姿勢は 私のような教え子に過ぎない者にとっても やはり極めて様々な人生に対する姿勢というか生き方を教えてくれる 貴重で意義深い反面教師のような姿に違いなかった 先生は数学の本以外に 文芸やエッセイに近い小品を集めた本も著していて そういう文芸集を読んでみると 先生の思想や考え方が如実に表れていて 大学で講義をしていた数学教師たる後ろ姿とのギャップが甚だ大きくて 果たしてどちらが本当の先生の姿だったのか?とか どちらの姿も先生の真実の姿であったのだろうか?と いまなお空想の域を出ない けれども人生の諸問題に悩める先生の姿を文芸書に見出して 先生のような「数学イコール命」ような教師であっても なかなか人生というものは一筋縄では行かないものだと納得させられた 少年時代の初心な恋心や恋した少女の姿を還暦近くに 切ない恋語りとして文芸作品に結実させた技量はやはり人生の達人と呼ぶに相応しいし 先生の人生は人知れず物悲しい人生には違いなかったのだろうけれど 自分の人生を精一杯生き抜いた達人に違いない そんな確信を持って 先生には拍手喝采を贈りたい 先生の思想や考え方は大いに私を勇気付ける そんなバイブルである (詩集の宣伝) 「青春17切符+1」3月26日発売。 購入は、 こちらからどうぞ 詩が良かったと思う方は 人気blogランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/10/18 10:20:13 PM
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