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カテゴリ:心理学関係
連日の子供のいじめ問題に関して、昨日は心が痛くなった。 小学校の教師の大半が、これからいじめで自殺する児童は減らないだろうと回答していると言うのだ。 先生があきらめてしまっている世の中。 子供はどこに助けの声を出せばいいのだろうか? 実は、私も中学校の時にいじめを経験しました。 無視される。目の前で悪口を言われる。など今の子のいじめに比べたらその苦しみはたいしたことはないかもしれませんが、当時の思春期まっさかりの繊細な私の神経は耐えられず、よく死ぬことを考えていました。 そういった経験がベースになり、人との関係ではずいぶん苦しみました。 親友だと言っていた友達がある日突然いじめる側に回り、当時私が暮らしていた借家をボロボロで汚い家に住んでいて、友達だって言われるのが迷惑だ。なんて、皆の前で堂々と言ったりするのですから。 人を信用するなんて、怖くてできなくなりました。 それでも、成長するにつれ、本当に良い友人にも恵まれ、人間不信もずいぶんと癒されましたが、どうしても人が怖いという感覚は根本からはなくなりませんでした。 私が心理学というものにものすごく興味を持ち、長年勤めていた会社を辞め、急遽思い立ったように、大阪の心理学スクールに引越しまでして通い始めたのには、こういった事があったからです。 学んでいくうちに、いじめる側にも、いじめられる側にも双方に問題があるということを知りました。 今風で言うと、お前、うざい。 中学の時はこういう理由でいじめられていましたが、なんで、うざいと言われていたのか、その理由も分かりました。 いじめる側もいじめられる側もすでに、家庭の中でそういう芽が出ていると教えられた時の私の衝撃と言ったら・・・。本当に驚きました。 でも、今振り返るとそうかもしれません。 うちは、下に妹がいて、私の目には、私よりも妹の方が両親から愛されているように見えました。そして、長女であるがゆえに私がしっかりしなきゃという思いと、両親から注目されたいという思いがすごくありました。そうして、自分は愛されないという誤解をしてしまったがために、自分を酷く扱うようになりました。 いつしか注目欲しさに目立ちがりやで、友達の優しさを受け取らず、そのくせいじけたキャラの私が出来上がってしまい、格好のサンドバックになってしまったようです。 物事はすべてそうですが、心の深い部分で双方の了解がないと、そうはなりません。 私は、この意味が本当に分からなくて苦労しましたが、よく先生から、「どうして、君は相手にいじめさせてあげたの?」などとよく質問されそのたびに切れていました(笑) そう考えると、いじめの問題は、いじめる側、いじめられる側の両方の問題だということがわかってきます。 超悔しいけど、いじめた側にも何か理由があったのだなと思えたときに私のいじめの傷は癒されたような気がします。 本当に気分のいい時、人は、誰かの悪口が言いたくなるでしょうか? 例えば宝くじで1000万とか当たったその時に、自分の子供を殴りたくなったりするでしょうか? しないですよね。 通常、人を貶めたり、暴力を振るったり、悪口を言ったりしてる人は、気分のいいことなんて人生においてあまりない人たちなのかもしれません。 続く。
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最終更新日
2007年03月04日 17時22分15秒
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