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カテゴリ:心理学関係
ここに、今から書くのは、私の独り言です。 福助さんと散歩していて、降りてきた私の中のとめどない想念の一部です。 完全なみなりっちワールドです。 そのことを踏まえた上で良かったら読んでみてくださいね。
この世には、私一人しか存在していない。ただ、存在しているだけ。ここに、在るといった感じ。 家族も友人も福助も目の前にあるこのPCでさえ、私が見ている夢だ。 手触りも匂いも息遣いも、色鮮やかな景色も全て、これ以上ないぐらいリアルで精巧に出来た現実としか思えないそうとしか思えない夢だ。 映画館で見る映画は、映画だと気付く。私達の現実も実はそのようなもの。 私はこの夢の教室の中で学び続けることをやがて知るだろう。そして、やがては目を覚ますのだろう。 批判は、実はこのたった一人しか居ないこのマインドの中で起こる対立や分裂だ。自分の中で起こる出来事は、何かスクリーンにでも映し出してみないと分からない為に、誰かを作り出し、その人物に投影して見ている。 相手に何を見るかによって、人は学んでいくことも出来る。 でも、苦しい。つらい。そう感じる時だってある。たとえ、起きる出来事が自分の成長にふさわしい最善の出来事であっても、そう分かっていても苦しみを感じることだってある。 そんな時は、今の自分より苦しんでいるのは、誰だろう?と問いかけてみるといい。ということを知った。実は、何年も前から私の尊敬する先生が教えてくれていたこの教えが今分かったという感じ。 その自分より苦しんでいる相手に、与えると、一緒に自分の問題も抜けられるのだそうだ。しかも、心の中の何層にも渡ってある問題が癒され統合が起きるというのだ。 相手に与えるものは、気の利いた言葉だったり、相手の喜びそうな物だったりするかもしれないが、私は、自分がしんどいときに、相手に言葉をかける力さえないと思う事だってある。はて?どうすれば良い? その答えは、有る。 何も、言葉や物である必要はなく、 例えば、祈りだったり、余力を振り絞って愛でもいい。 ただただ相手の幸せを願うとか、愛のエネルギーを気持ちの中で送ってあげるだけでいいらしい。 出来ないと思っていても、案外本気になれば出来てしまう。 なぜなら、私達の深層心理は、どれだけ深く掘っても最終的には「本当に純粋な愛の意識」しかないからだ。私達は純粋な愛そのものの存在でしかない。 そうして与えている間に、必要ならば相手にとってしてあげられるベストなことが、今度は天からインスピレーションとして降りて来るのだ。 そこで、ハタと思う。 この世は、イリュージョンであり、ただただ存在するのは私だけなのに、どうして他人が居るのだろう? そこで、またハタと気付く。 自分=他人なんだ。 ワンネスとは、こういう事なのかと。 自分よりも苦しんでいる他者に対して与えることは、自分に対してあたえる事であり、自分に対する許しであると。 本当に本当に、元は一つだった私達。 ちょっと、神様の元から離れてみるのはどんな感じなのかしら?と好奇心を持ってしまったばっかりに、バラバラになってしまった。 それだけ、私達の持つマインドのパワーは強く何でも現実化してしまう。 今のこの世界が現実が気に入らないならば、それは、あなたの世界であなたが神様になっている証拠。本当の神様はこんな世界を作ったりはしない。 いつか、映画館の桟敷席でこの私が知覚し得る現実で一生懸命演技する私を見ている優しい眼差しと出会いたい。 この優しい眼差しは夢の外の知性。 夢の外の知性は言う。 早く目を覚ましなさいと。
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最終更新日
2009年05月08日 23時21分34秒
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