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カテゴリ:心理学関係
こんばんは~。 今日8日は新月ですね 新月といえば、アファーメーション♪ 10個までのお願い事を書いておくと、叶うと言われています。 書き方は、すべて肯定形で書くこと。 そして、書いたことを忘れる(手放す)と、より良いそうです。 オフィス木下の木下博嗣先生からのお知らせメールでは、今月の新月は、「真実」を見極めるパワーに溢れているそうです。 真実に関することをアファーメーションすると、良さそうですね!
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この間のことです。 ある、セミナーに参加していました。 ペアワークをやった時に、その時のパートナーから、 「みなりっちさんは、罪悪感を感じやすいの?」と質問されました。もちろん、初対面で挨拶もそこそこにワークに入ってしまったので、相手は私がどんな人物なのか、全くわからずに、質問しています。 本当の事を言うと、そのワークに参加するのに、寝坊して1時間も遅刻してしまった後だったので、ドキッとしました。 なぜなら、遅刻は、罪悪感の象徴だからです。 相手があってこその遅刻ですが、約束の時間に遅れてしまったのなら、必ず謝らねばなりません。 普通の人は謝りますよね? (今、うちの彼氏は、遅刻してもあやまんねーよと声が聞こえたので 汗) しょっちゅう、遅刻する人は、罪悪感が強いという話を聞いたことがあります。謝ることすらしない人は、もっと強い罪悪感を持っています。これは、普段から自分で自分をこれだけ裁いているんだから、これ以上謝らせないでくれよ~。というマインドの現われです。 で、話を元に戻しますね。 初対面のその女性に、罪悪感をつつかれた、みなりっちは、余計バツが悪くなり、 私は、ビジョン心理学をかれこれ9年ぐらい学び続けているし、セミナーもたくさん出ているし、他にもファミリーコンステレーションやホオポノポノのセミナーにも参加して学んでいるから、普通の人よりか、罪悪感の処理は終わっているんだわさ。 という、いわば、ヒーリングの世界でのキャリアやプライドが先に出てしまい、 つい、うっかり 「そんなことないと思うけど」 と言っちゃったんですね~。 でも、そのセミナーが終わって家路に着いても、なんだかすっきりしない。 そこで、セミナーに遅刻して行ったのも、なんらかの罪悪感の意識があったから遅刻してったのでしょうから、真面目にこのことに取り組んでみようと思いました。 で、自分の思考の中で罪悪感に関するどんな観念が潜んでいるのか、丁寧にクリアリングしていきました。 すると・・・・。 出てくる出てくる。。。。 すべて私が悪いんです 私が謝っておけば、すべてがうまくいく 郵便ポストが赤いのもみんな私のせいなんです 負けるが勝ち
自分自身が常に、こんな事を無意識のうちに感じているなんて、思いもよらなかったので、本当にビックリしました。 まさか、、、、、、、、。
って感じです。 そして、これらの思考がどの辺りで私の人生に入り込んできたのか詳しく探っていくと、、、
なんと!
親のしつけでした
私には、3歳離れた妹がいるのですが、喧嘩するたびに、いつも私が怒られていました。妹がぐずり始めると、本当にしつこかったので、とりあえず、先に謝っておけ。と言うのです。 お姉ちゃんだから、我慢しなさい。 お姉ちゃんだから、譲りなさい。 お姉ちゃんだから、謝りなさい。 明らかに妹が悪い時でも、めんどうだから、先に謝って丸く収めておけ。 と言うのです。 クリアリングがすっかり終わった今では、親もそうやって大きくなって来たのだな。と理解できます。 親は、たくさんの兄弟がいる中で、またその親から、同じことを言われて何の疑問も持たず大きくなり、その生き方がある意味その後の人生の中で、役立つことがたくさんあったので、長女の私に処世術として、教えてくれたに過ぎないのです。 確かに、その生き方で、成功した場面はたくさんあったでしょう。釈然としないまま日々を過ごし、それが心の中で澱のように、溜まっていったとしても、気付かないままこれまで生きて来れたのは、時代が違う。というのが1つあったと思います。 我慢が美徳とされた時代だったんですよねぇ。 ちなみに、「郵便ポストが赤いのもみんな私のせいなんです」 というフレーズは、当時流行歌だったのか、私が生まれるもっと前のものなのか、わかりませんが、よく、母親から、そう言って、兄弟間のイザコザが大きくなる前に逃げろ。と言われていました。 逃げるが勝ちなんだそうです。 なんで、勝つために、逃げなきゃならんのだ? なんで、勝つために負けなきゃ、ならないんだ? 勝つために、手をつなぐ。という方法もありまっせ。 と真面目に言えるようになったのは、社会で認められ始めた頃でした。 今思うと、本当にアホらしいのですが、子供だった当時は、その考え方が親から伝授された処世術として、柔らかな脳に浸透していったのだと思われます。負けたと見せかけて勝つのですから、少し優越感も感じていました。 しかし、私が本当のところ、罪悪感を感じていたのは、そこの優越感の部分でした。 きっと、今日の遅刻の土台もそこのような気がして、いっきにクリアリングしていきました。 最後には、意地になって、やりました。 自分で出来るところまでやって、それでもそれらの思考が残ってしまっていたら、友達に抜いてもらおうと思いました。 それが、9月の終わりのことでした。 それからどうなったかと言うと、自分で意地になって取り組んだお陰か、このタイミングで手放すようになっていたのか、 しばらくの間、クリアリングする事柄が全く無くなってしまいました。 日々のクリアリングは、ここ4ヶ月ほどの間習慣として、毎日のようにやっていましたから、この変化には、本当に驚きました。 というか、、、、、、、、 今までのクリアリングしてきた私の思考って、どんだけ罪悪感に根ざしたものだったんだろう。と思いました。 あれもこれも、大元は、親が良かれと思ってしたしつけが原因だったなんて、本当に驚きです。 また、親のいう事を素直に聞いて、私ってばいい子だったのねぇ。と思いました。
人間にとって、不要な感情の一つは、罪悪感だそうですね。 これを手放す毎に、気付きがたくさんやってくるようになりました。 そういえば、罪悪感の罠って、
受け取らせないこと
でした。
続きは、また今度!
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最終更新日
2010年10月08日 01時25分25秒
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