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カテゴリ:家族
フクが、我が家に初めて来た日。 父はふて腐れて口をきいてくれなかった。 要は、事前に相談もなく連れて帰った私に対して怒っていたのだ。 母も、あまり歓迎してはいなかった。 でも、やっぱり子犬の可愛さに負けて、飼うことを許してくれた。 福助は、慣れない初めての家で、不安そうだったけど、ごはんをモリモリと食べて、すやすやと良く眠った。 そして、翌日の夜には、すっかり我が家にも慣れ、スライスチーズ2枚でお座りも覚えた。 生後1か月半だったのに、なかなかに賢い犬だと思ったのを覚えている。 フクが庭に出て、初めてうんちをした日、私が帰宅するなり、母がはしゃいで教えてくれたのを思い出す。 大人になった福助の特技は、散歩中にしたうんちは、袋にまとめてやると自分で持って帰る、それから、普通にお座り、お手、ねんねころん、スカートめくり(特技か?)くらいなもので、芸に関しては、ほとんどレパートリーは無かったけど、人の言葉は良く覚えていたし、何より私たちの気持ちが、本当に良く分かる犬だった。 13年の間、遊びに連れて行ったのは、数えるほどしかなかったけど、散歩は朝晩どこまででも元気に歩く犬だった。 家の周りの徒歩圏内は、ほとんど一緒に歩いているため、外に出るのが辛くなってしまう時がある。ま、これには慣れるまで時間がかかるだろうな。 福助を連れて歩いていると、いろんな人からよく声をかけられた。 近所付き合いが苦手な私もフクが一緒だと、コミュニケーションを取りやすかった。 難しい顔をして歩いている人も、フクが袋を持って、歩く姿を見て、 プッ と吹き出し、 「犬がなんか持っとる」 と笑ってくれた。 子守りをしたこともあったし、わざわざフクに会いに来てくれる人もいた。 なので、フクが死んだ知らせを受けて、近所の人も悲しんでくれた。 いつも、のんきに眠り、たまに、仕事のつもりか隣のマンションに車が来たら吠える(おい、そこは圏外だってば!)朝夕決まった時間に散歩に行き、ごはんもしっかり食べる。たった、それだけなのに、その存在だけでフクはみんなから愛された。 私の人生から、フクが消えた・・・・。 今でも信じられないような気がするし、やっぱりもういないんだ。と思える時もある。 思い出は山のようにあって、そのすべてを記憶の保管庫に飾っておきたい。 フクがいなくなるなんて、いずれ迎えるその日があるのは、わかっていたけど、まだまだ先だと思い込んでいた。 私にとって、福助という存在は、愛そのものだった。 フクと出会うまで、私は「愛」って、よく分かっていなかったと思うし、感じるのが怖かった。 でも、フクにだけは、無条件に愛を感じてもいいんだ。となぜかOKを出すことができた。 それは、母性的な愛であるように当時の私は感じていたのだけど、 本当は、もっと深い所にある自己愛を福助に投影し、フクを通してやっと自分を愛せていたのだと思う。 きっと、私はフクを通して愛を見出さなくても、ちゃんと自分を愛せたり、愛を受け取れたり、差し出したりできるようになったので、フクはお役目の一つを終えることができたのかもしれない。 フクが来て、当時みんながてんでバラバラだった家族が一つになれた。そして、「歩く」という習慣をプレゼントしてくれた。 そして、無条件に愛してくれて、無条件に愛を受け取ってくれる。という体験を毎日させてくれた。 これって、物凄いこと。 13年もの間、毎日これが潜在意識に積み重ねられるって、素晴らしいことだと思う。 無条件に愛し、受け取る。人間もできるけど、その日の気分があるので、変わらずにはできない。 犬だから、可能であり、私たちも照れることも反抗することもなく、素直に受け取れた。 だから、愛そのものの福助がこの世からいなくなった時、なんとも言えない空虚感と悲しみで、泣き暮れた。 今は、だいぶ泣かなくなったけど、やっぱりこうして思い出していると、フクの体に触れられない悲しみ、寂しさにどうしようもない気持ちになる。 もう、どうやっても会えないんだ。という事実と直面する度に、小さな子供のように地団駄を踏んで懇願したくなる。 神様、お願い。 タイムマシンを早く作ってください。
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最終更新日
2012年02月07日 03時26分10秒
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