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テーマ:愛犬のいる生活(76754)
カテゴリ:家族
フクの寿命を縮めるきっかけを作ってしまったのは、実はこの私なんだ。と言ったら、みんな驚くだろうか。 後々になり、どれだけ後悔したか分からない。 時は、昨年末に遡る。 ちょうど、我が家の隣の家のおばあさんが亡くなりバタバタしている時に、それはやってきた。 何がやって来たのかというと、 その日に生け捕りにされ、さばかれたばかりのイノシシの肉だ。 電話があった時、母が異常に嫌がったが、父がOKしてしまった。 イノシシを捕獲した人物は、イノシシ捕獲の資格が取れたのだと、そればかり自慢していた。 直接受けとった母は、その人物が、ニヤニヤしながら、 あんまり、みんな喜ばんのんじゃけどね、焼き肉にしたらけっこう、食べれるけん。 と言いながら、自分の衣服をクンクンと匂い、 まだ、イノシシの匂いがついとる。さばいてすぐに持ってきたけん、血抜き処理しとらんから、綺麗に洗って、脂も取って、食べて。 と言ったその男を本当に気味悪い。と思ったそうだ。
この肉、気持ち悪い。捨てようか?
という母の言葉になんで素直にうなずかなかったのか、後悔してもしても収まらない。 母は、今思えばものすごく敏感で、母が嫌がることは、たいてい後でロクな事にならないのを知っていたのに。 私は、動物が大好きだ。 イノシシは、害獣かもしれないけど、山に食べ物がなくて、里に下りてきただけなのに、殺されてしまった。とてもじゃないけど、生命を尊重しているようには、その人物が思えなかった。 私は、イノシシを捕獲する仕事も、大切な仕事だと思う。だから、否定はしない。 でも、まるでゲームのように、生き物の生命を扱う人間は、絶対に絶対に、許せない。 私は、イノシシが気の毒でたまらなかった。 イノシシが、可哀想だと思った。 父もせっかく持ってきてくれたのだからと否定はしなかった。珍しいし、食べてみよう。ということになり、その肉の下処理を私も手伝ったのだが、、、、本当に気持ち悪かった。 その時点で、本当は私が気づかなければならなかったのだが、シータの技術を使い、その肉からネガティブなものを引き抜き、祝福したから、大丈夫だと思った。 で、網で焼いてみた。 肉の味は、けっこう美味しかった。 心の中で、祈りながら食べてみた。 でも、なぜか食べれば食べるほど、気分が落ちた。 家族全員の箸が止まった。 そこで、捨てればよかったのだけど、 またまた、イノシシが可哀想とか食べ物を粗末にするなんて、もったいないと思ってしまい、フクちゃんなら、食べるかな~と思った。 家族の誰も反対しなかったので、持って行ってみた。 普段滅多にお肉なんかもらえないので、喜ぶかなと思ったら、フクはあんまり喜ばなかった。 食べないと、どこか悪いんじゃなかろうか?と思い、食べろ食べろとやってしまった。 結果、フクは食べて、急性膵炎になってしまった。
大型犬の13歳(と9か月)での死は、大往生の部類に入ると思う。 でも、私は頑なに15歳以上は生きるのではないか。とほぼ確信に近い形で信じていた。 それくらい、福助は元気だったのだ。 老犬に、肉は禁物。 そんな事知らなかったし、自分の無知さに怒りが沸いた。 福助は、嘔吐し、食事を受け付けなくなったので、慌てて病院へ連れていくと、 検査の結果、急性膵炎になっている事が分かった。そして、甲状腺機能低下症もあることが分かった。 甲状腺機能が低下すると、胃腸の消化能力が落ち、コレステロール値が上がる。 フクにしてみたら、踏んだり蹴ったりじゃないか。。。。 もっと、早く病院で検査してもらっておけば良かった。 福助は、本当に体が強く元気だったので、大丈夫だと過信していた。 それに、なにかあったら私のヒーリングでどうにかなる。とも思っていた。思い上がりもはなはだしい。 今さら、なにを言っても、フクは帰ってこないのだから、仕方ない。 そこから2週間近い闘病の末、フクは逝ってしまった。 悔やんでも悔やみきれない。 激しい後悔と苦しみの始まりだった。
可哀想は、危険。 むやみやたらの可哀想は危険の2つ目の話とは、この事だった。 人に対する可哀想とか、憐みの感情は、自分でワークして最高最善に変えていたので、自分は、大丈夫だと思っていた。ところが、動物に対しての可哀想は、全くの盲点で、そこに関しての私の観念は、まったく変えていなかった。 後悔ばかりの私。 しかし、後々になり、今回の一連の流れが、魂の壮大な計画の一部であることを知ることになるのである。
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最終更新日
2012年02月08日 01時11分15秒
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