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カテゴリ:スピリチュアル
私は、神社が大好きだ。 行くと必ずおみくじを引く。 広島市にある多家神社は、至福の石けんの鎮守神社なのでよくお参りするのだが、この神社のおみくじは、どういう訳かめちゃくちゃ当たるのだ。 というか、ぴったりなものを神様が渡してくださるという感じ。 今回は、建国記念日の日に、用事があり、車を走らせていたら、突然、多家神社の神様からお呼びがかかったような気がして、急きょ予定変更してお参りさせて頂いた時のおみくじの内容がこちら
↓↓↓ 憂さもつらさも腹立たしさも、心ひとつのおきどころ。 大空に澄む月の光も見る人々の心によって、楽しくも悲しくも腹立たしくも眺められる。 自分の身辺に起きるすべての事柄の中に神様の有難い御教え、かたじけないみさとしを味わって、感謝の気持ちで眺めれば、身も心もほがらかに禍も自ら転じて幸いとなって来る。
私たちの心の持つ作用に「投影」というのがあって、 どれだけ美しく晴れ渡った空でも、大失恋の後に眺めれば、悲しい空だと感じます。それは大失恋による悲しみを空に投げかけて見ているから。 心一つのおきどころ。 というのは、「投影」とは、心のフィルターであり、喜びで満たされていれば、喜びのフィルターを通して見るので、何を見てもハッピーで、怒りで満たされていれば、何を見てもムカッとくるのです。 心を平和な位置に置くのか、戦争状態に置くのか自分自身で選択できるということ。 そして、自分自身に起きるすべての事柄は、すべてが必然であり、そこから学べることがたくさんあるということ。 どんな出来事をも感謝の気持ちで眺めることで、禍転じて福となり、平和が戻ってくるよ。 といった事が書いてあり、どうやら神様とは、そうやって一つの出来事から学ぶごとにご褒美をくれる存在であるらしい。
そして、
はなされし、かごの小鳥のとりどりに楽しみ多き春ののべかな。 籠の中にいた小鳥が話されて自由に飛び歩くように苦しみを逃れて楽しみの多い身となる運です。世の為、人の為に尽くしなさい。幸福まして名も上がります。
とありました。 私は、酉年です。 そして、前もどこかで書いたかもしれませんが、鳥のモチーフ好きです。 子供の頃は手乗り文鳥を飼ってました。 そして、最近になりやっと外れてきたかな~と思っていたのですが、なぜか子供の頃からものすごい閉塞感、窮屈な感じ、いろんなものに縛られている感じが常にしていて、ずっと自由に憧れ続けてきました。 母親が厳しかったので、育った環境も多少ありますが、それよりも魂が持つ何かのようにいつも感じていました。 まさに、私は籠の中の鳥だ。とか、囚われている感覚があり、心理学からスピリチュアルをこの10年研究し続けていたのは、まさにこの感覚から自由になりたかったからなのです。 もう、解放されたんだよ。 神様からはっきりとそう告げられたような気がして、本当に嬉しくなりました。 そして、ちょうど 私が世の為、人の為になれることが他にもあるなら教えて欲しい。私自身が自分を犠牲にすることなしで、出来うる限りの私のやり方で貢献したいとお願いした直後のおみくじだったので、 あ、 被せて言われた(笑)
と思いましたし、 私が願ったことは私にとっての真実だったのだと思いました。
生きているといろんな事が起こり、その都度私たちの繊細なハートは揺れ続けます。 そんな時は、近くの神社にお参りして、おみくじを引いてみると、神様が答えをくださいます。 お参りの時に、日ごろの感謝を述べた後で、ぴったりのおみくじを引かせて欲しいとお願いしてから引くと、良いでしょう。 突然呼び出しがあったように感じて行った多家神社でしたが、帰る頃には、ずっしりと重かった肩がめちゃくちゃ軽くなっていて、びっくりしました。 やっぱり、神様って、 当たり前ですが、 すごいです。
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最終更新日
2013年02月21日 23時18分55秒
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