【ジョン・ノイマイヤー/人魚姫(サンフランシスコバレエ)】
振付・美術・照明: ジョン・ノイマイヤー音楽: レーラ:アウエルバッハ出演: ヤンヤン・タン、ロイド・リギンズ、サラ・ヴァン・パタン、デーヴィッド・カラペティアン、サンフランシスコ・バレエ団(2011年5月、サンフランシスコ)BSプレミアムで放送されたもの。アンデルセンがこんな悲しい話しを作れてしまったのは、何故なのか?この舞台では、詩人(アンデルセンもしくはノイマイヤー?)が想いを寄せていた海軍マンの結婚式で、彼が傷心の涙を流し、物語が生まれるところから始まる。海の中は、重力レスで浮力のみ。オリエンタルな衣装(松の廊下か?)で竜宮城のよう。人魚姫のヤンヤン・タンは、東洋系で衣装・メイクとも相まってアミダラ姫。身体能力も素晴らしく、姫(=女性)というより人間とは違う生物の自由さが感じられる。これに比べて、地上の人間達は、重力と性差にとらわれ、不自由でグロテスクで滑稽な動きしかできない。王子のために、人魚は人間になったが、王子は別の女性と結婚してしまう。王子は、人魚姫を嫌いではないのだけれど、じゃれたり遊んだりで、女として見ることはない(=恋愛対象としてはみない)。それは、詩人も愛しい彼からはそうだったのだ(アゴにパンチ・・だもん)。人魚姫は、王子を殺せば、人魚に戻ることができる。一時はナイフを手にするが、疑うことを知らない王子を前に、地上を去ることを決める。 ノイマイヤーがゲイかどうかはどうでもいいんだけど。ありのままの自分を相手に理解してもらうのはムズかしいから、ついつい自分を変形させてアプローチしたりするけど、それは悲しみの始まり。人魚姫も人間になるときには、声を代償にしたではないか。しかし、それが恋っちゅーものよね。それにしても、ヤンヤン・タンの表現力は雄弁。声なき声を限りに叫び、カエルのような足に戸惑い・・・痛々しい。一方、海中の滑らかでふわっと浮き上がるリフトは、ワイヤーがあるのかと錯覚してしまう(黒子ダンサーズ、すばらしい、拍手)。一幕・二幕とも出ずっぱりなのに、動きにも表情にも疲れが全く感じられないのはどういうこと!?デービット・カラペティアンの海神は、歌舞伎メイクもキマってワルかっこいい。人魚姫に足を与えるとこは「お代官様ーー!あーーれーー!」のお約束シーン(笑)上手いなー。ハンブルグバレエではどんな感じだったのかな?気になるところです。