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カテゴリ:つれづれ独り言
終業式を翌日に控えた今日の祝日。
本当は、母親をコストコに連れてってあげる予定だったのに、2日前からの風邪のお陰でキャンセル。 テレビをぼーっと見たり、洗濯機をひたすら回したり、狭い家から一歩も出ずに過ごしております。 学期末に体調を崩すの、恒例行事になってるなあ 生徒達の作文を添削する、という仕事を持って帰ってはいますが、頭がまだ働かないので、リハビリも兼ねてブログ更新です。 ************ 「女」「女の子」「女子」「女性」と、自分が持って生まれた性を表す言葉はいくつかありますが、この使い分けについて、以前から考えておりました。 「女」というと、ちょっと生々しい。 「女性」というと、自分のことを指す言葉として使うには照れがあるし、自分はまだふさわしくないような気がしてしまう。ほら、なんだか「きちんとした大人の女の人」ってイメージがありませんか? 「女の子」というのは、いくらなんでも厚かましいおしゃれ着用洗剤のCMで、女性タレントが「女の子の服だもん」と言ってるのを聞くたびに、とても違和感を感じます。30を過ぎて、「まだ女の子でいたい」という、成熟を拒むような印象を受けるからです。 で、よく使うのが「女子」でした。この言葉は、「女の子」というのとは違う、学校で言う「男子」に対立する概念としての印象が強いし、「女子力」なんてことばに象徴されるように、「女としての心意気」みたいなものを感じさせるので、割と好きで、これらの言葉の中では一番しっくりきてました。「女子としては……」なんて使い方をよくしていました。 しかし、職場でそういう風に使っていると、新任の20代の男の子に「女子……?」と疑問符付きで返されました。 その時は「なんか文句ある?」の一言で彼の疑問を封印しましたが(爆) その後、ネットで「30代女子」という言葉はおかしい、みたいなことが話題になってるのを見て、「うーん、確かにそうかも」と思ったり。 「30代」という、具体的な年代を表す言葉と、「女子」という「内面の心意気」を表す言葉がそぐわないのかなあ、と解釈していたのですが、最近ある雑誌のCMで「40代女子」という言葉を聞いた時には、かなーーり違和感を感じました。 「30代」に対して「女の子」を使うのと同じ種類の、「成熟を拒む」印象もしっかり受けました。 と同時に、「女子」は「心意気」を表す言葉だと思っていたけど、実は自分もどこかで成熟を拒んで、この言葉を使っていたのかも…などと考え込んでしまいました。 気付けば、あと10日もしないうちに新年がやってくる。 年明けに続いて、すぐに私の「30代最後の1年」も始まる。 体の方は年相応にあちこち弱ってきているものの、中身と言えば、未熟も未熟、青ーいままでいることが、最近身にしみて「ヤバい」ことに感じられます。 「女性」というのは照れる、なんて言ってる場合じゃないよなあ。トホホ。 思えば、ちょうど10年前の今頃は、「もうすぐ20代最後の1年が始まる」ということで、自分の来し方を振り返って、「このまま、自分がやりたかった訳じゃない仕事を続けていていいのか」と悩んだ挙げ句に、派遣社員の仕事に区切りをつけることにしたんだったなあ。 30代は、仕事の面ではなんだかんだいって充実していましたが、仕事で頑張るだけでは、耕すことのできない部分があることに、最近気付いてきました。 その辺を解決するのが私の40代のテーマなのかもしれないし、そのために何が必要かもなんとなく分かってるんだけど、そのための一歩を踏み出す勇気がどうにも出せない今日この頃。 年齢的にはしっかり「おばさん」なのに、心の中に「膝を抱えた少女」がいて、今自分がいる世界が壊れることを恐れるあまり、これ以上の行動を阻止しようとする、そんな感じです。 先日、同期と車の中で、彼女の職場のまさに「反面教師」となる方の話題から、「自分のことを客観的に見られない、イタイおばさんにはなりたくないよねえ」と話し合ったのですが、このままでは私も「イタイおばさん」まっしぐらではないだろうか…と思って青くなっております。 「年をとる」のは簡単だけど、「大人になる」のは難しい……。 すぐに解決しないことをぐるぐる考えるのは、しんどいことでもあるんだけど、そろそろ逃げないで向き合わないといけない時になってきたのかもしれません。いや、むしろ遅いかも(^^; 自分の中の「成熟したい気持ち」が、内なる「少女」に勝つ日を迎えられるように、いろんな意味で準備と覚悟をしていかないとなあ、なんてことをしみじみ思う、年の瀬でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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