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テーマ:旦那さんについて(2446)
カテゴリ:心の病・鬱病
二月、離婚した頃の日記を読み直してみました。
『泣き喚いても自分の心が出した結論だったのだから、それでいいとおもう。』 確かに、その時の私の方が、私の本音をしっかりと理解していた。 意地を張っていたのでも、見栄を張っていたのでもなく。 「私なんていらないのかな」 繰り返し繰り返し、思い返しては泣いていた。離婚してからも。 痛みと付き合う時間が、二月からだから、もう八ヶ月。 自分の心が決めたことを、くだぐたと否定してはいけない。 自分で自分を否定しちゃあいけない。 傷付いたのは私もだよと、確かに彼に言いたいのだけれど、 やはり先に手を放したのは私だったらしい。 >私が思うに彼はみねあさんのことをいらないと思って離婚したんじゃないと思うよ。 そうすることが今のみねあさんにとっても、自分にとってもいいと思って離婚したんだと思う。 >客観的に見て、彼にはみねあさんへの愛が感じられたよ。 みねあさんと彼の離婚は決別というより情愛が感じられました。 二月の私は、きっとそれをすでに理解してて、離婚に踏み切ったんだと思います。 でも、さっこらさんに言われて、救われました。 >彼に対する釈然としない部分もあるだろうけど、それは今の彼に求めるのは難しそう。 ……難しい気がすします。逆ギレされたし。 でもいつか、『自分の気持ちを言わないのは卑怯』だということは理解して欲しいです。 彼の弱さを許せない自分がいます(私は私の弱さも許せないのですが) 愛してたことを、愛されていたことを私はきっと忘れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年10月20日 01時18分32秒
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