独り言7の巻。
前回のつづきです。なんとか出口を捜そうと、その様な映画を観たりしてDVDを借りに行った時、運命の曲と出会いそれから悶々とした気持ちをロックを聞いて吐き出し続け、それでも抜け出せ無かった時に、2冊の本と出合い出口が見つかりました。後でお姉さんに話したら笑われましたが、HOW TO本。「看取りの作法」と「50代を後悔しない51のリスト」の2冊。この本で自分の状況が理解できました!参考になった文章を書きます。秋山リカ著 「看取りの作法」この中の悲しみへの対処法の章に書かれている、喪の作業の段階。死別の悲しみから立ち直るためのプロセス。1、精神的打撲と麻痺状態・・・・・・「何も考えられない」2、否認・・・・・・「嘘でしょう、そんなバカな」3、パニック・・・・・・「どうしょう!どうしょう!」4、怒りと不当感・・・・・・「何故私だけがこんな辛い目に」5、敵意と恨み・・・・・・「誰もわかってくれない。バカにしている」6、罪意識・・・・・・「もっとこうしてあげていれば」7、空想形成、幻想・・・・・・「私のすぐそばにあの人がいてくれる」8、孤独感と仰鬱・・・・・・「結局、ひとりぽっちになってしまった」9、精神的混乱と無関心・・・・・・「もう何もかもどうでもいい」10、あきらめ(受容)・・・・・・「これも人生の真実なんだね」11、新しい希望~ユーモアと笑いの再発見・・・「私が楽しい事して頑張らなきゃね」12、立ち直りの段階~新しいアイデンティティの発見・・・「あの人の為にもしっかり生きていこう」もちろんこれらのプロセスは「行きつ戻りつ」するのがふつうだ。 「もう大丈夫、しっかり生きていく」と12まで来たと思われる人が亡くなった人と訪れた場所に行っただけで再びパニックに陥ったり、孤独感に打ちひしがれたりする事もよくある。 また「月命日」「一周忌」を迎えただけで進行していたプロセスが一気に初期の悲しみに戻る事もある。これは「命日反応」といわれる心理的な反応だ。 そうやって「三寒四温」のように、少しずつ少しずつ悲しみが薄れていくのが正常な立ち直りの過程だ。「早く立ち直らなければ」と無理やり活動を始めようとするとすっかり立ち直っているように見えていたのに、いまひとつ楽しくない充実できないといった可笑しな状態が続くという人もいる。 それは心は行うはずだった喪の作業を最後まで成し遂げることができずに途中の段階で留まってしまい、すると悲しみも絶望も、そのまま「保留」になってしまうのだ。あ~これだと思いましたね!私の場合4,5は無かったけれど、やらなくてはいけない事が多すぎて7からいきなり12へ行ってしまったみたいですね・・・悲しみと正面から向き合わなかった。 だからこの状態も当たり前なのだと思ったら気が楽になりました。そしてもう1冊は本の帯に「幸せになる女、くすんでいく女」と書いてあり、50代を楽しく過ごす方法が書いていて、友人を訪ねて行ったり、ライヴに行く後押しをしてくれました。その後の行動はブログで書いてある通りですが、昨年はハイに成り過ぎてNHKのお兄ちゃんナンパしたり、やはり真ともではなかったですね(笑)大学の友人から「車屋とかNHKとか世界が狭すぎる、世の中広いんだよ!無料のサークルに出かけな!いろんな人と出会えるから。でもやたらに自分の事話すのは止めなね!私達は理解しているからいいけれど、知らない人には重過ぎるから」と忠告を受けました。そしてみんな心配しているんだよ!と言われてありがとうと思いましたね。Kさんに話した時に、ヒロキチの若い頃に彼をダブらせたんだね~と言われて納得。 そしてまた落ち込んで・・・でも立ち直りも早かったです!今年は「僕のいた時間」というドラマに引き込まれ、難病と向き合う青年と周りで支える人達の感情がリアル過ぎて、ヒロキチの事を考えて泣けて来る事も多かったのですが、それほど落ち込む事はありませんでした。5年目に入り、漸く12の段階に来たのかな?まだわかりませんが・・・でも、またどの様な状況であれ、逃げずに向き合おうと思います!!そろそろ新しいPCと向き合おうかなこの稚拙な文を読んでくれて、へぇ~そうなんだと、私以上に悲しい思いをしている被災者の人達に関心を向けてくれたら嬉しいです。誰でも忘れられるのが一番悲しい事ですから・・・あ!7も確かに有りますが、私の周りで起こった不思議な出来事はこれではないですよ!(笑)今月、Kさんが仙台に越して来たそうなので、またヒロキチの言葉も偶に聞けるかもしれませんね^m^