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仙台で被災した、前の会社の後輩が、名古屋にいた。
------------- 地震後、関東方面の知り合いに電話をした。 安否確認。 東京のおじちゃん・親戚。先輩後輩。 埼玉・茨城の友人。 仙台の友人。 時間はかかったが、皆の無事が確認できた。 特に仙台の後輩は、繋がるまでに時間がかかった。 それでも、仙台から山形~新潟に抜け、無事でいることが確認できた。 ---------------- 今日、会社帰りにどうしているか電話をかけてみると。 名古屋にいた。 名古屋支店に来ていると。 帰りしな、寄ることにした。 久々に見る顔があった。 笑顔で会えた。 仙台駅で被災したそうで。 東京支店長と合流した後に地震が有ったらしい。 仙台駅構内でお茶でもしようか。となったらしいが、支店長が「外でゆっくり」と言ったので駅を出て車に乗った。 その少し。ほんの少し後に、地震がおきた。 道路の両側に建つビルや街灯などが大きく揺れ、建物から沢山の人が出てきた。 車を停め、地震が止むのを待った。 ・・・・・駅ビルの喫茶店でのんびりしてたら、ケガも必至だったとのことで・・・。 そんな事を冗談まじりで話す彼は、「生きて戻れてよかった、生かされているんだって、ホントに有り難く思う」と「今回のことで、考え方・人生観が大きく変わる」と優しいような、切ないような、苦しいような。 そんな、複雑な表情で語っていた。 私には想像しきれない体験をしたんだと思う。 そしてまた、彼は仙台に戻る覚悟だと言う。 会社の同僚(事務員さん)が避難所にいて、お母さんの介護も必要だとか。 ガソリン・灯油・食料・水・・・・・。 その他、色々と。 買って戻らなければ。と彼は言う。 なにしろ、モノが無い。 コレが現実。 一部地域では、治安も悪化しているらしい。 原発・・・。 おまえ・・・。 戻って大丈夫なのか? 問うてみても、誰も答えは見出せないんだろうね。 おまえのこと、タフなヤツだと思っているけれど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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