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テーマ:地震だ~~!!(870)
カテゴリ:もこのつぶやき
5:46
ぐぉ~っという低い不気味な地鳴りと共に ガガガガガガっとものすごい揺れ、 窓から見えたすごい光。 爆撃にあったのかと思った。あれから12年。 たった20秒の揺れで運命は変わる。 当時、芦屋市の6階建てマンションの1階に住んでいた。 3歳だった双子も現在15歳になった。 すぐ横に眠っていたわが子たちに 必死に這って覆い被さり ものすごい揺れとガシャンガシャン、ガーン、破壊音と 住民の悲鳴の中 このまま死ぬのかなと思った。 ものすごく長い20秒だった。 寝室の押入は木枠ごと飛び出し変形、 台所のタイルは剥がれ落ち、 居間にあった大きな本棚はグシャグシャに潰れ 壁はヒビだらけだった。 壊れた時計は5:46をさしていた。 とても寒い朝だった。 外に出ると電柱は倒れ、道路はひび割れ、 一戸建てのほとんどはぺっちゃんこ。 辺り一面ガス臭く、 旦那とマンションの扉横の外にあるガスの元栓を閉めてまわった。 しばらくして 神戸方面に大きな煙が3本見えた。 大きな火災が発生してる…。 自宅マンションは、半壊で 住めなくなり、地震の恐怖とこれからの不安と 震災後、毎晩泣いていた。 その年の11月にこのマンションは取り壊された。 毎年1/17に地震の映像がテレビで流れると ぽろぽろ泣いてしまう。 もう12年も経つのに…。 今日は朝5:30に目が覚め テレビをつけて、5:46黙祷しました。 6434人の犠牲者…。 ご冥福をお祈りいたします。 先日押入を整理していたら 震災から9ヶ月後に書いて載せてもらった 当時いた双子のサークルの会報が出てきました。 (以下、当時の会報より抜粋) 『震災から9ヶ月。2月にO市に移り、そして9月にN市に移転しました。 半壊認定された芦屋のマンションは11月に取り壊される予定です。 平成3年11月から住み始めた芦屋市。 やっと慣れてお友達もたくさんできたのにとても悔しいです。 この10月に、幼稚園の面接で「お友達は?」と聞かれたA(息子)は、 黙り込んで、しばらくしてとても小さな声で「いない…。」と 言ったのにはすごく胸が痛みました。 M(娘)も最近よく、 「Mちゃん地震ってだいっきらいっ。だってお友達いなくなるもん。」と いいます。』 当時、震災後マンション住民は仮設や移転でバラバラ、 うちも引っ越しばかりで仲良くなってもすぐにさよなら、でした。 『この9ヶ月間、O市での家賃・敷金・駐車場代が、芦屋の生活費(共益費・駐車場代なども含む)プラス約200万円の大出費。そして返ってきた敷金も引越費用などぱぁ~っと消えていきました。 震度7という貴重な体験ができましたが やっぱり「あの地震さえなかったら…。」と思います。 命があってこそですが…。 本当に【普通の生活】はありがたいです。』 とても長い日記になりましたが、 もこの 1.17消えない記憶 です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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