|
テーマ:★留学生活★(629)
カテゴリ:アメリカで苦労・仕事する
→→→続き→→→またはこのシリーズの最初に行く→→→
彼が「You are not nice.」という言葉にあんなにしょげている理由が(ボキャブラリーが貧困な為)さっぱり分からない私は彼の酔いつぶれて「最後だから一緒にまたMの部屋にかえろーぜー!」と笑っている姿にすっかりしょげていた。「最後だから・・・」という言葉を友達として信じて自分の部屋に責任持って連れて帰ったが私の部屋のベッドでごろん、と横になると彼は「ねぇねぇ、最後なんだから一緒に寝ようよぉー!シャワー浴びてくんの待ってるからっ。」と叫んだ。 酔ってるくせに、私の言ったこときっちり理解したくせに、良く言うよ、と思い「はいはい、じゃ、シャワー浴びてくるね」とシャワー道具を持って共同バスルームでシャワーを浴びると、私はそのまま部屋に帰らずに同じビルに住むいつもの日本人グループじゃないグループに所属するそれなりに仲が良かった友達の部屋に直行してそのまま朝まで部屋に帰らなかった。 翌日、自分の部屋に戻るともうBrandonはいなかった。ほっとして部屋を片づけていると机の上に置いてあった私の財布が開けられていて、中に入っていた$60が全部抜かれていたことを見つけた。この頃はまだ私が日本で僅かに貯めたバイト代などでちょっとづつやりくりしていたので、少しのお金でも大切だったし$60は私にとって大金だった。頭に一気に血が上って、とにかく慌てて彼に電話をかけた。 彼はどこに行ったのか知らないが電話にでなかった。電話にでなかったので色々考えた挙げ句、彼のお父さんの自宅の電話番号を貰っていたのを思い出した。時々お父さんの自宅に泊まるのでいないときはここにかけて、と言っていたなと思い早速お父さんのところに電話をした。当然だが、彼はいなかった。 ここで電話を切っている場合ではないので、私はたどたどしい英語ながらもお父さんに「あのー、私はBrandonの友達のMといいます。昨日彼がうちに泊まっていったら私がいない間に私の財布から$60持っていったんです。昨日バーに行ってお金も貸してるんです。電話しても彼につながらないし、どうしていいのかわからなくて・・・」と一生懸命説明した。確か、彼のお父さんはCommunity College of Philadelphia(CCP)で教えている、と聞いたと思うからそんなに悪いステータスの人では無かったはずだ。今考えれば、じっと、よく私の話を聞いてくれた紳士な人だったと思う。彼はうんうんと話を聞いて「わかった、必ずBrandonには伝えておくから・・・」みたいなことを言われてそれから1時間後ぐらいに直ぐBrandonから電話があった。 「ちょっとM!朝どこに行ってたんだ?!僕はね、待ちぼうけしたんだよ。何時間待ったと思ってる?!あの無駄な時間を時給換算したらね$60ぐらい貰っても当然なんだよ。大体なんで僕の父さんにそんなこと言うんだよ?!」 とかなり怒った調子でまくしたてた。 「だって電話してもいないし、財布からお金盗んだじゃない!」 「でも時給換算したら!」 「盗んだものは盗んだじゃない。返してよ!」 「そんなお金もう使っちゃったよ」 財布を机に置いたのも部屋を去ったのも私だ。私にも否があることは分かってる。でもだからといって彼が盗んだことを善しとして放っておきたくなかった。彼は私がお父さんにそれを言ったことにすごくショックを受けていたが(文化的にまだ疎かった)私には全く関係なかった。本人が大人でも親がいるなら親に言うわよ、当然でしょ、みたいな強気な態度だった。今思えば確かに親にはなんの関係も無いことだったとは思うが、その無神経さが功を奏してBrandonに私の怒りが伝わったのは間違いなかった。 *** その後彼にはお金の催促のイーメイルを何回か出して2週間後ぐらい後の3月の終わりにやっと待ち合わせをして会った。彼が持ち合わせていたのは$25だけであったが、もう会いたくなかったのでそれだけ貰って我慢することにした。別れ際に「確かに僕は君にとってもう嫌なやつかもしれないけど、最初に会った頃僕がNiceだったこと、忘れないでね。」と彼は淋しそうに言ったことを良く覚えている。 アメリカに来て最初に出来た友達、というシチュエーションのおかげで私のアメリカ人に対する不信感、というのはこの経験を通してトラウマになった。最初だからたまたま運が悪かったんだ、と何度も思い直したが留学生活の間に起こる他の数々の出来事がこの経験が単なる「運」の問題だと私に思わせてくれなかったのだった。 甘くてうぬぼれ屋だった当時の私は、すっかり面食らっていた。 →→続く→→→またはUS Life Indexへ行ってみる→→ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[アメリカで苦労・仕事する] カテゴリの最新記事
|