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カテゴリ:真黒ノ日記
今日「宇治・女児殺害事件」のニュースを見てふと思いました。
もし、神がいるならば、とてもひどい奴だ と 殺人が悪い事だというのは全世界共通のことで、宗教でも殺人を行った者は罰せられる物が大概です。ならば神はそれをさせないように、そういう人間を事件を起こす前に生まれさせないか、あるいは公正させるなどすればいいのに。人が人を殺す事をただ見ている。しかし悪い事だと言う。どういうつもりなのだろうか? 止めるすべと起こるであろう未来を知りながら、神はただ、ただひたすらに傍観者であり続ける。 キリストはユダが裏切ることを知っていたと言います。ならば何故彼を止めなかったのか? 殺しは罪 実際キリストを裏切ったユダは「悪」とされています。本当にキリストがユダの裏切りを知っていたなら、その時ユダを説得していたなら。ユダは「悪」と呼ばれる存在にはならなかったかもしれない。 それを考えると、ユダを「悪」にしたのはユダ自身ではなく、キリストがユダを「悪」にしたのではないかと思ってしまいます。 キリストが背負っているのは、人々の罪ではなく、きっと自分が「悪」に仕立て上げたユダへの贖罪なのだろう。 彼の十字架は救われることの無い自分の象徴なのだ そして、それを考えてるボクは此処にいます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.12.25 12:53:53
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