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カテゴリ:真黒ノ日記
明けましておめでとうございます。
昨日彼女と初詣に行った所、泊まりに来るのを見越すそうです。ちょっと残念ですが、それ以上にナイフを隠さなくて済むことに安堵しています。 さて、此処を見ている人から「詩」に対する誤字などの指摘がありましたが、あれは意図して使っているので、お気遣いは無用です。 ボクは年明けは「OUT」と言う桐野 夏生原作の映画を見ていました。弁当箱に具の詰め込み作業をしている4人の主婦が、ある日を境に死体解体の仕事に手を出すという作品です。この話は有名でして、小説からドラマ、そして映画化と小説発売から実に5年かかっていますが、今なおその人気は衰えていません。 小説は読んだことありませんが、ドラマは再放送を見たことがあります。ドラマも映画も落ちが弱いのですが、過程はドラマの方が面白かったです。「主婦」と言う新たな観点に目を置いた桐野 夏生を称賛したいです。 この映画に出てくる彼女達は、皆自分達の家庭にそれぞれの問題を抱えていて、この生活から抜け出したい、と思うようになっていきました。最初は吐き気を催していたにもかかわらず、慣れていくと日常から逸脱した「死体解体」に魅力を感じていくようになります。彼女達は「他人の死」を生きがいに、自分達の生活の「適度な刺激」として日常に取り込んでいきます。つまり、彼女達は 他人の死を喜び、趣味にしている これは死体だからでしょうか?もし、彼女達が解体するのが生きた人間の場合。彼女達は躊躇するのでしょうか?死体は命がないから、ただの物質だから解体できるのでしょうか?だとしたら生きてる人間も物質、ただの原子の塊と考えれば、死体とさして変わりはないのではないでしょうか? 普段食べている魚、牛などは、元々生きている物。食べる目的以外でも、趣味でハンティングなどの無駄なこともしています。人間も同じ原理で、殺してもいいのでは?何故人間は殺してはいけないのでしょう。 最近人の死に疑問をもってしまいます。どうしたのでしょうか ボクは此処にいます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.01.01 18:26:32
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