歪みの形
時々自分が「どこ」に居るのか分からなくなることはありませんか?時々自分が「なに」をしたらいいか分からなくなることはありませんか?時々自分が「誰」だか分からなくなることはありませんか?時々自分の「生死」が分からなくなることはありませんか?時々自分と「世界の境界線」が分からなくなることはありませんか?時々自分と「他の全ての存在」の消滅を願ったことはありませんか?時々自分を「殺す」ことはありませんか?時々自分の「存在」について考えたことはありませんか?時々自分は「逃げられない道を進んでいる」と思ったことはありませんか?欺瞞それは常に自分の心に満ちているものです。全てを動かし、全てを止め、全てを壊し、全てを作る「欺瞞」人の抱える「心」という名の器。答えの分からない「欺瞞」に満ちた「心」には、時々今までの「歪み」を直そうとする動きがあります。生まれた「歪み」はストレスと似た性質を持っています。溜まりすぎたストレスを発散させるように、生まれた「歪み」も元へ戻ろうとします。その過程の反動を制御するのはとても難しいことです。どのように向うかは、その「歪み」を抱える人しだい。人の「歪み」は「欺瞞」と「心」の数だけ世に存在します。その原因は暴言、暴力、差別など様々なことから来る、一種のトラウマみたいな物です。それは生きている限り、みんなが持っている物。人として生きるためには「歪み」が欠かせません。もし、この世に「歪み」が存在しないなら,人々は皆お互いに行き過ぎた干渉を起こし、「個性」や「自我」といった物の形成ができなくなります。「歪み」が人の形を作っていくのです。しかし、「歪み」が過ぎるとそれは元々持っている性質も強くなり、元へ戻ろうとします。故に「歪み」を抱え過ぎた者は、人間の「個性」「自我」などを失います。世に言う「精神異常」「精神崩壊」等と呼ばれる症状を引き起こす事になります。それが「歪み」の反動。しかし、「歪み」がなく「個性」や「自我」も無くなった物は、それ故に誰よりも「純粋」です。物の捕らえ方を「考え」なくなるからです。見たものをそのままに、聞いた事をそのままに、余計「歪み」を加えるたりする事もできないので、ただ只管に「純粋」なのです。そして全てを凌駕する「狂気」にすらなりうる。一番最初に書いた問いかけに一つでも反応した人は、心の「歪み」が元に戻ろうとする反動がきています。人は「欺瞞」と「歪み」の生き物。それに苦しめられていても、それが無ければ自分を保つ事もできない皮肉な生き物。その「純粋」と「狂気」に「歪み」を加えて作られた粘土細工。神は最初の人間アダムを赤土より作ったと言いますが、あながち空想ではないのかもしれません。