テーマ:★高校の大会★(97)
カテゴリ:U・ω・)ノ 我事
ワタクシ、巷では「学生時代はヤンキーだったらしい」等の噂もありますが、本当はいたって真面目な(?)学生でしたよ。はい。
で、中学1年の時から始めたのがハンドボールです。皆さん、ハンドボールご存知ですか?あの、サッカーとバスケを足して2で割ったようなスポーツです。 なんでハンド部に入ったかと言うと、うちの兄上が中学生の時にハンド部女子と仲がよくて、おいらが中学に入学するとそのハンド部の先輩がおいらのところにきて、「○○君の妹じゃろ~?ハンド部入ろうや~」という半ば強引な勧誘の末、気づいたらハンド部に入っていたのでした。 そんな成り行きで全く興味のないハンド部に入部したため、途中で部活が嫌になり、なにかと理由をつけては部活をさぼっていました。しかし、ハンド部女子はヤンキーの先輩が多く(うちの中学はヤンキーが案外部活に精を出していた)、さぼっているところを先輩たちに連れ戻され、よく説教されていました。 それから3年の先輩が引退して、自分にも後輩ができたりしてそれほど部活も嫌にならなくなりました。 その当時は同じ市内にハンド部がある中学が3校しかなく、試合をするといっても3校総当りで、勝っても負けても必ず県大会にいけるというなんとも気の抜ける状態でした。 でもやっぱり県大会にもなると、ズタボロに負けてましたが・・・。 そして、たいした結果も残さぬまま引退。 その後受験する高校を決める時、兄も通ってたスポーツで有名な高校を受験することになりました。そして、面接練習のときに先生が「お前は3年間部活続けたんじゃから、もし試験官の人に『高校に入っても部活を続けますか?』って聞かれたら、入る気がなくても『はい』って答えろよ」と言われました。 そして受験当日。面接で「あなたはハンドボールを続けますか?」と、ズバリの質問をされたのです。本当はソフトボール部に入りたかったのですが、そこは迷わず「はいっ!」と元気よく答えました。 手ごたえを感じつつ合格発表の日を迎え、あの元気のいい返事が功を奏したのか見事合格! ワーイヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノワーイと喜んでいたその日の夜、自宅に1本の電話が・・・。 「○○高校の○○と申しますが、みんせいさんはハンドボール部に入部するということで・・・。では来週から練習に来てください。3月の終わりには名古屋に遠征に行くので、それにも来てください。」 ・・・そこからまた、終わるはずだったおいらのハンドボール人生は続いていくのでした。トホホ。 高校に入ってからは、今まで中学でやってきたこととは全く違う練習内容についていくのが精一杯でした。先輩の上下関係もますます厳しく、1年生のうちは緊張しっぱなしで練習をしておりました。 またうちの高校が全国大会常連というような学校で、県大会で負けるようなことがあれば、その日から毎日走りこみの時間を長くさせられ、ひどい時は2時間走りっぱなしということもありました。そこは皆で励ましあいながらがんばるしかありませんでしたねぇ(´-ω-`) そこまで厳しい練習に耐えたからこそ、インターハイにも出れたわけですが・・・。驚いたことに、うちの学校はインターハイに出る部の2年生は、8月の修学旅行に行かずに部活を優先するという規則があり、おいらは高校の修学旅行に行ってません(゜ーÅ) ホロリ まぁ、3年の時は山梨インターハイだったので、帰りに東京観光やディズニーランドに連れてってもらいましたが。全員おそろいのジャージで原宿を闊歩したさ。( ´,_ゝ`)プッ いろんなとこに遠征にも行きましたねぇ。名古屋、大阪、香川等など・・・。香川に遠征に行ったとき、仕出し弁当に入ってた卵焼きで食あたりしてみんなでゲロ吐いたこともあったなぁ( ´-`)チュンチュン 大阪駅で当時巨人軍にいた松井秀喜を見つけて後をつけてみたり、新幹線の中で部員の一人がにしきのあきらを見つけ、一人ずつ意味もなくスターがいる車輌まで行ってみたり・・・。 その頃からお笑い担当だったおいらは、部活が始まる前に先生のまわりに集合して、そこで小話を一つするというのが習慣になっていました。 そのおかげで、卒業式のときに後輩が3年生全員に一人ずつ寄せ書きをくれたのですが、他の3年は「先輩のシュートフォームは超かっこよかったです!」「先輩のディフェンスを見習いたいです」などと書かれていたのに、おいらの寄せ書きは「みんせい先輩の話がすごくおもしろかったです!」「みんせい先輩が笑わせてくれたので楽しかったです!」 ・・・とまぁ、見事にお笑い担当の役割を果たしていたのでありました(゜ーÅ) ホロリ そんなこんなで、ハンドボール抜きでは語れないみんせいさんの学生生活なのでありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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