カテゴリ:本
先日の日記で途中までの感想を書いたが、最後まで読み終えた 後半で心に残った部分を抜粋して書いておこうと思う フィンランド教授の話 「競争を強調されれば成績不審者は負け組みになり溝は広がるでしょう。教育のせいで社会が分裂してよいのですか?だから特別なニーズのある子供にはいろいろな工夫をし、早期に介入して『落ちこぼし』を防止する。他国に比べれば好成績者との格差は小さい」 さすが福祉国家、平等、格差を無くすが徹底しているし、やはりそれが国家の平安や落ち着きを生み出すのだろうなと思う 東アジア型の禁欲的な詰め込み教育が生徒の創造性、批判的思考、自己信頼といったものを犠牲にして青年の自信をなくさせ伸びていく大事な資質をそこなってしまい、かえって害になる。 教師の役割は生徒が自分で能力を発揮しなくてはならないような新しい状況に対して知識や技能を適用しようと努力している生徒を案内しながら学習を支援することである。 「教える教育」から「学びを支援する教育」へ 社会性とは社会圧力に不本意ながら従うというような適応的な行動ではなく、社会的圧力から離れて自分の独立した判断で自由に行動することを意味しており、このような自由が許されて初めて自己責任が問われることになる。 日本は事故が起きると管理責任が大きくクローズアップされる それも大切だけど、そこに管理をさせていた自己責任の存在をもっと注目してもよさそうだ それでは実際フィンランドでは具体的にどんな学力に力を入れているのか 「違いや対立を扱う能力」 例えば、自律と団結、多様性と普遍性、革新と継続性との間の緊張を扱う事 「対立する利益について双方が受け入れられる解決方法を見出すために交渉する能力」 「問題解決的、或いは問題探求的な学習方法」 すごい高度な能力だと思うけど、人が生きていく上で確かにとても大切な能力だと実感する 日本のように役に立つのかどうかわからない勉強とはコンセプトが違いすぎる もし子供が間違った事、悪い事をしたら日本では親や学校に言いつけるよね これをフィンランドの人は滑稽だと笑うそうだ 悪い事をしたのは子供でしょ?学校や親に言うことはない。子ども自身に言えばいい。 自ら学ぶということは学ばない自由も許され、失敗する可能性も失敗から立ち直る可能性も含まれている。子供の決断をもっと尊重するべきだ。日本の先生は子供をかまいすぎる。 もっと子供を尊重し、社会全体で子育てしている感覚なのかなと思う 日本も戦後50年はフィンランドと同じように学力の底辺を上げる教育が施されてきたが、いまや全く逆向きに動いているように見える 最後に教育課程審議会会長の衝撃的な言葉が記されていた 「できん者はできんままで結構。できる者を限りなく伸ばすことに労力を振り向ける。百人に1人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。非才、無才にはせめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」 うっそぉ~!信じられない発言 批判的思考能力や問題探求的な力を養わず、従順で実直な人間にさせられていたのが日本の教育なのかぁ~ 確かに主張する事にどことなく罪悪感を感じ、いつもニコニコとうなずいているイメージの日本人気質はこのためだったのか? 考えると恐くなる 間違った偏った教育を施されないように慎重に子供たちを見守らなければいけないと感じる お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年07月02日 13時14分14秒
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