カテゴリ:思う事
昨日の夕刊に「フクシマ・フィフティ」という記事があった
全駐米大使が書いたものだ 震災の福島原発の事故現場に留まって危機に対処した吉田所長をはじめとした50名程の人たち あの時外国の友人に聞かれたそうだ 「あの現場の社員や作業員達に日本の国民は、なぜもっと感謝しないのか。あの人たちこそが実は誰よりも命を賭した英雄であり戦士ではないか」 国際的に表彰されたり、スポーツで結果を出した人に国として栄誉を与えるのは当然である しかし、黙々と責任を果たし国の急場を救ってくれた人を見出して感謝する必要があることも間違いない そう記事には書いてあった 私もその当時、固唾を飲んで事故の状況をテレビ画面で見守っていた一人だが 確かに外国メディアがこの50名をヒーローとして称賛していた記憶がある しかし、日本の反応はしらけていたし、当事者達もそんな称賛はいらいない そんな美化される様な状況ではなく、もっと内心は複雑で、もしかしたらこんな作業したくない 逃げ出したい、でも逃げられないジレンマがあって称賛を受けることがためらわれた様に思う 私はここに日本人と西欧人の差を感じる ポジティブにとらえるか、ネガティブにとらえるか 困難から逃げずに戦った勇気を称賛するか 困難から本当は逃げたかった本音や現場の責任という重圧を感じていた立場として当然の事だと思うか そう、日本人は大人は責任を取るのは当然だという感覚が強すぎるのかもしれない 無責任な事をありえないかの様にいう 大事な事は、責任をとることではなく 責任をとるために、勇気を出して立ち向かう事、なのかもしれない 称賛すべきは、結果ではなく、そこに立ち向かった勇気なのだ 日本人ももっと事件や困難に対処して成功を得たとき、誰が一番勇気を出してがんばっていたかに評価基準を向けるべきだと思った さて、そこで自分を顧みてみる いやはや最悪だ 今の現状に満足していないくせに、打開のための勇気も無く 下向きにただ歩いている気がする でもまてよ・・・ 小さな家族の中の世界では 私は結構がんばっているではないか 朝4時半に起きて5時半に出ていく息子の為にお弁当作ったり 玄関先のブルーベリーを毎日朝夕収穫して冷凍し 部活から帰ってきた子供たちが美味しそうに全部食べちゃうし 掃除だって洗濯だって料理だって まあ、そんなレベルだけれど勇気を出している訳ではないが責任を果たしている 評価は?・・きっとちゃんとしてくれている・・・よね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年07月12日 09時19分56秒
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