カテゴリ:今日の出来事
48歳、狭間にいる自分を感じる 高齢化の進む住宅地の真ん中で あたりは人生の終焉期をむかえる人々が黙々と生きている その目に自分はどう映っているのか そこにある本音は 嫉妬?追憶?達観?怒り? 近所のスポーツジムに行っても高齢者が多数 ハイテンションでパワフルなその活動ぶりに 孤独や恐怖と戦っている様な切迫感を感じる もちろん、自分もだんだんと同じ境地に落ちつつある事を自覚してきてはいるが 「あなたは若いから・・・」の言葉ではねつけられる壁を感じる 同年齢で依存しあい、自己防衛を図るということか 子供たちは高1と中1の男の子 もちろん思春期で言葉数は減り、友達とのかかわりを楽しむ時期 自立と依存のバランスを親としては自然な形で見守りたいと気を使う ゆだねる部分は任せ、サポートが必要な時は目をかけ声をかけ 歪まず真っ直ぐに成長し、頼もしい青年になる事を願っている が、ついこの間までは腕を広げれば懐に飛び込んできて甘えてくれる存在だっただけに 離れている寂しさは隠せない こんな気持ちを紛らわし、鼓舞するために私はジムに通う 4年前に越してきたせいもあるが 子供たちを通しての親同士の親友関係は残念ながら私には築けなかった 近所に友達がいれば、買い物に行ったりお茶したりたまに飲みに行ったり 絶好の時なのかもしれないが かといって、遠くにいるやや疎遠になっている友人を誘う程、渇望はしていない 二世帯住宅で毎日1階に義母がいる 趣味、友達がいない 兄弟も体を悪くして合うこともできない でも合えば喧嘩、悪口?ねたみ?そんな話が出てくる 正直こんな風になりたくない こんな余生、私は絶対にいやだ それでも、同居している自分は義母を気遣い 2週に一度は夕飯を振る舞い 我々家族で日帰りで出かける(最近は子供たちは行かない事が多いが)と言えば声をかけ 一緒に紅葉などを見に行き 本音を言えば 冷めてる我々夫婦仲を見直すためにも本当は2人で出かける機会を逃したくはないのだが・・・ 連れて行ったら連れて行ったで、嫌な事も言われたり かえって夫婦喧嘩をしてしまったり きっとしてあげているのにという気持ちが問題を招いているのかと思う やはり同居は難しい 適当な距離感が必要だと痛感する 親の不幸を伝える年賀状辞退のはがきが届くようになった 去年は主人の父も見送った 自分の親を送る時が遠くはないと感じている その時、自分はどうなってしまうのか 恐怖もある 今できることをしてあげたい 孫たちを連れて行く 困ったことはないか時々顔を出す 重い物、かさばった物はネットスーパーで注文してあげる 紅葉がきれいだったから連れて行った こんな時間が大切に思える 仕事をしたくていろいろと挑戦はするが、長続きしない いじめややっかみ 自分の中の偏見 気力の低下 諦めの早さ 精神的な萎え、自戒や自虐による不眠 更年期も影響しているのかと思う これもいい訳か・・・? 子供たちの教育費はこれから増すばかり 仕事をして収入を得たい これは痛切に思うが 自分の今後の人生を思う時 今から始めるべき趣味作り、人間関係作りも大切かと思う 人生の中間地点にいる自分を感じる今 勢いでここまで上ってきた今 少し自分に優しくなって 心の声に耳を傾けながら 優しさや思いやり、喜びや感動の量を 増やしていけるように 後半の人生を考えながら進んでいきたい そんな私の今の気持ち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年12月06日 11時13分42秒
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