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正確には、悔しくて涙が止まらなくなってしまったのです
最初に質問されたのは、幼児期にどのようなことで障害に気づいたか?だったと思います。 小学校は普通級でと就学時健診で言われたことや、普通学級ではこの先やっていけないと思った「困った行動」はどんなものだったか? 一番伸びた時期はいつだったか? 家庭においての役割はあるか? なぜ今在籍している高校を選んだのか?地域の特別支援学校ではダメだったのか? などなど、ひとつを答え終わるか終わらないかのうちに取締役は次の質問に入り始めます。
今までのことを(ほぼ)正直にお話してきて、面接時間の7割くらいが過ぎた頃、何かの質問に答えたら 「親がやらせないからだな」 と次男の体験不足、経験不足をそのように一言で片付けられてしまいました。
離婚が成立するまで、成立してから、また婚姻関係にあった間もいつもへとへとに疲れていた私は、子どもと外に出て「人に疲れること」を好んでは出来ませんでした。 その必要があることは痛いほどわかっていましたが、経済的にも余裕はありませんでしたし、何からはじめればいいかもわからずにいた時期もありました。 楽団をはじめたのも、まずは自分が元気にならなくちゃと思ってはじめましたが、結果子どもにかける時間が減ったのは事実です。
こらえても涙があふれて止まらなくなり、取締役は質問を次男へと矛先を変えてくださいました。 その後、気持ちをたてなおさなくちゃと思っても、場が和んだら和んだで笑い泣き・・・ それでもなんとか面接はまとまり、よろしくお願いします、ということで終了。
最後に取締役には
「痛いところを突かれ、涙が止まらなくなってしまってすみませんでした。」と言うと 「こちらも社会人として受け入れるわけですから、親離れ、子離れも必要ですからね」 と。
面接が始まったのが10時40分、終わったのが11時45分。 まさか、こんなに長い時間お話しするとは思っていませんでした。
配属先についてのお話もありました。 次男を良く見てくださっていて、次男の持てる能力を伸ばしていきたいと考えていらっしゃること、とてもありがたいことだと感じました。 まだ、採用が決まったわけではないのですけどね。
今まで一緒にやれば次男もやれたはずのことを、わたしがその手間にかける時間を面倒くさがってやれなかったために身につかなかったこと・・・ 卒業してからになりますが、今の学校のOBOGで構成されている会に入会し、月一回の和太鼓サークルには一緒に参加する予定でいます。 月一回、体力が持たなければ楽団を休むことも考えています。 体全身を使って、お腹の底から声を出す、みんなでひとつの音楽を作り上げる、その共同作業が「楽しい」と思わないまでも、社会の一員として周りの人に支えられていることを実感できるような体験が出来るようフォローしていきたいなと思っています。
そして、次男の頑張りが きっと長男も見ていて感じてくれていることと思っています。 もうあと1年、ハハの就活見守りは続きます。
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