カテゴリ:御言葉
・・・・・もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊のまじわりがあり、愛情とあわれみがあるなら、私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。
何事でも自己中心や虚栄からすることが泣く、へりくだって、互いに人を自分より優れた者と思いなさい。自分のことだけではなく他の人のことも還りみなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。 キリストは神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることできないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ神は、キリストを高く上げて、全ての名にまさる名をお与えになりました。 いきなり長い御言葉ですみません・・・。 今日の礼拝の聖書箇所はもっと長い文ですが・・。自分が心に響いた前半を紹介しました。 私がこのメッセージで深く思わされたことは、二つあって、 1つは自分の栄誉のことじゃなく、主を喜ぶこと。 すごく思わされることが、いろんな奉仕を今私は与えられているんだけど、たま~に「自分が」とか「なんで自分なの?」と思わされることがあるんだ。この奉仕が自分の信仰になんの役にたつの?とか自分じゃなくてもいいんじゃない?とか思わされるんだ!! だけど、このメッセージを通して、神様の姿を捨てて、私たちと同じ姿をとり私の罪のために十字架に架かって死んでよみがえってくださった、イエス様のためには私はイエス様のために、主のために喜んで捧げて生きたいと思わされました・・。 それともう一つは、信仰は主に信頼すること。 今まさにそう思うんだ。すべて信頼していけば、神様が必要な力を与えられるし、備えも与えてくださる。私は神様の御手のなかでただ動かされている存在でいれればいいんだと思わされました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/03/06 12:09:36 AM
[御言葉] カテゴリの最新記事
|
|