カテゴリ:教会
今日は、講壇交換での礼拝でした。
講壇交換と言うのは、私の教会が属している日本長老教会の牧師先生たちがいつも牧会している教会じゃなく違う教会で礼拝説教すること。 だから私の教会は、いつもと違う牧師先生が礼拝説教してくださいました。 今日は、3人の人がアブラハムの目の前に現れ、アブラハムのサラに来年赤ちゃんが生まれてくるとお告げがあり、サラが笑ってしまって、それから3人の人がアブラハムの甥ロトがいる、ソドムを今から滅ぼすと言われ、アブラハムがたくさん悪いものがいるけど、もし正しい人が50人いたらその町は救ってくださるのですか?」と言われ、3人の人は、「滅ぼすまい、50人の方のために・・。」そのとりなしは、45人、40人、30人、20人と続き最終的に10人正しい人がいたら滅ぼさないと言われました。その後、ソドムには10人も正しい人がいなかったので、滅ぼされてしまいますが・・。 今、私は将来やることについてすごく悩み落ち込んでいるけど、その中でこのメッセージが与えられた・・。何でだろう・・?と一瞬思ったけど、実はすごく大切なことだと示された。 とりなしって言うのは、ほかの人のために祈ることなんだけど、私は最近の祈りのほとんどは、自分の今おかれている状況の不満などをぶつけることであって、とりなしの祈りはほとんどなかった。だけど、昔の自分を比べては、多くなっていることは 確かなんだけど、昔は、祈っているよとか絶対言いたくなかった。「祈っているよ」と相手に励ますことができるけど、実際自分がそのために祈るかと思えば、祈らない自分がいたので、その人にすごく悪いと思い、絶対祈っているとは、言いたくなかった。だけど、最近は変えられて、ほかの人のためにも祈ることができるようになってきた。なってきたけど、今の自分はとりなしの祈りより、今置かれている自分の状況などのほうが多い・・。 神様は、きっと自己中心な祈りじゃなく、きっととりなしの祈りのほうが求めているんじゃないかな。もちろん自分のために祈ることも必要。だけど、真友のため、教会のため、まだ救われていいない家族、友人のために、祈ることも必要なんだろうな。 祈るって神様との会話。聖書は会話での応え・・。一つ欠けても、駄目なんだろうな。 神様は私たちに積極的に神様と交わることが本当に求めておられるけど、私はそれを忙しいとか疲れたといってお休みしてしまっている。 今、私に必要なのは、祈り。特にとりなしの祈り。神様が私に与えられたとりなし。私はそのためにも祈る必要がある・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/05/28 09:16:50 PM
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