カテゴリ:御言葉
第一コリント人への手紙13章~クリスマス版~
たとえ私が、自分の家を縞模様の帯や光り輝く電球や、ガラス球で完璧に飾り付けしても、家族と愛を分かち合えないなら、私は単なる、別の「装飾屋」に過ぎません。たとえ私が、死にものぐるいで台所へ向かい、何ダースものケーキを焼き、グルメ料理を用意しても、またどれほど食卓を見事に飾り付けても、家族と愛を分かち合えないなら、私は単なる、別の「料理人」に過ぎません。 たとえ、私が路上生活者に食事の配給をし、老人施設でキャロルに参加し、持っているものを慈善活動に供しても、家族を愛することがなかったら、何の役にも立ちません。たとえ私が、ピカピカ光る天使を飾るモミの木をきれいに刈り込み、雪の形を編み上げ、たくさんのホームパーティーに参加し、聖歌隊と一緒に宗教曲を歌っても、イエス・キリストに焦点をあてることがなかったら、私は、的外れなことをしていることになるのです。 愛とは、子どもを抱きしめるために、料理を中断すること。愛とは、家族にキスするために飾り付けを中断すること。愛とは、どんなに忙しくても、疲れていても、親切なこと。愛とは、よその家に見事にコーディネートされたカップやテーブルのセットを見ても嫉妬しないこと。愛とは子供に、「邪魔しないで」と怒鳴らないこと。むしろ、そこに「いてくれること」を感謝すること。 愛とは、きっと「お返し」をしてくれる相手に何かを、プレゼントするのを喜ぶだけでもなく、それが出来ない人にも、プレゼントできることを喜ぶこと。愛は、すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 愛は決して絶えることがありません。クリスマスの時期さえ、そうです。ビデオゲームは壊れることがあり、真珠のネックレスは紛失することがあり、ゴルフクラブは錆びてしまうでしょう。 しかし、愛のギフトを分かち合うことはたえることがありません。 (ある牧師に宛てられたクリスマスカードのメッセージより) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/12/17 10:39:44 PM
[御言葉] カテゴリの最新記事
|
|