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カテゴリ:手塚治虫とマンガ同人会
旅立ちの歌 ●第17回 灰色の青春 第862回 2006年10月13日 旅立ちの歌17 井上は二階の自分の部屋で仰向けになって天井を見ていた。 真東に大きく開いた窓からは青空と白い雲が見えた。まだ午後三時を過ぎた頃だった。風もなく暑さで部屋は蒸しかえっていた。 「困ったなあ……」 ポツンとそう言って、井上は窓側に背を向け一点を見つめた。頭から額に、そして顔全体に汗が流れていった。 井上はまんが展の準備で忙しい毎日だった。それはそれで充実していた。しかし、プロのマンガ家の原画が二百五十枚はあっても、同人のまんが展用の作品がなかなか集まってこなかった。肝心の井上自身も描いてはいなかった。 これでは山形まんが展はプロのマンガ家たちの作品にだけ話題が集中してしまう。酒田の村上さんやたかはしよしひでセンセイたちの目指す「ぐらこん山形支部」結成には程遠くなる。虫プロ商事「コム」編集室からもぐらこんの認可は難しいだろうと、井上は焦りを感じたのだ。 そして準備が進むに連れて、井上の焦りはいつの間にか不安に変っていった。 「そうだ、村上さんに相談してみよう」 井上は早速、酒田の村上彰司の自宅に電話をした。 「どうした井上くん?まだ午後四時だノ。夜の八時なら電話料金も割引なのに」 と、村上は電話の向こうから笑いながら言った。 「今日、たかはしセンセイやかんのさんが来てくれて、高校のみんなにも手伝ってもらい準備の大方は終ったんです。んだげんど(そうだけど)、心配なことがあって……」 「ご苦労様、ご苦労様。暑いのに大変だったね。それで心配なことってなんだい?」 「マンガ同人会の作品の原稿がどうしても集まっていないんです。このままではプロのマンガ家の作品展になってしまうし、ぐらこん山形支部結成の認可にはならなかったら、村上さんたちの目的は達成されないのではないかと焦ってきました」 「井上くん、予定通り同人誌用の原稿はあるんだろう?……だったらそれをきちんと展示することだ。ぼくらの同人誌原稿はB四判用紙に二ページ分の原稿を描いている。プロの原画はB四判が一ページ分だから原画は大きい、技術的にも迫力は違う。それはどうしようもないことだ。でもね、一コマひとコマに描かれたマンガには同人誌魂が入魂されているはずやノン。大丈夫だからね」 村上は不安と焦りの井上をやさしく諭した。そして村上のものすごい情熱が受話器を通して伝わってきた。 「一コマひとコマに描かれたマンガには同人誌魂が入魂されている」 そうだよなあ、青木文雄や青木健一、鈴木和博らの作品はどれも個性に溢れていた。そこにはプロのマンガ家にはない情熱が感じられた。 「オレもつまんないことを考えていないで自分の原稿を選ぼう」 と、井上は自分で言った。村上はその言葉を見逃さなかった。 「井上くん、そうだよ。既に描いてある原稿でいいんだよ。ありのままの自分の作品を出品すればいいんだよ」 井上は受話器をそっと置いた。二階の部屋に向かい、井上は二つの作品を取り出した。 ひとつは学校新聞に発表している四コママンガ「ああ、学園」から数点。二つ目は昨年に学研「高一コース」編集部に送った六ページの短編マンガ「灰色の青春」だった。 井上は久々に自分のマンガの原稿を手にとって見た。 「灰色の青春」は四日市喘息に苦しむ少女が堪えきれずに自殺しようと出掛け、付き合っていたボーイフレンドに助けられるという話だった。井上は中学当時から公害問題に関心を持っていた。中三コースに掲載された小説を原案にしたマンガだった。井上の描いた絵は当時に人気マンガ家の川崎のぼる、横山みちはる、園田光慶をブレンドしたような感じで、中学時代の石森章太郎の影響は微塵も感じさせなかった。 作品の間から手紙が落ちた。 「前略 返事が遅くなりまして申しわけありません。 マンガ原稿たしかに受け取りました。 『灰色の青春』は、社会的問題に取り組む姿勢は 大切だと思いますが、ストーリーが単純。 だれでも思いつくようなものです。 『コマ・マンガ』についても同様です。 絵はすぐれていると思いますので、 これからは、もっとアイデアをねるよう 努力してください。 これからも がんばってください。 作品はのちほどお送りします。 早々 高一コース 清 邦彦」 「この原稿が学研から返ってきた時に、原稿と一緒にパイロットノック式万年筆が同封されていたっけ」 東側の窓のでんごしに腰掛けて、井上はニッコリと笑顔を浮べた。 西空はすっかり夕焼けになっていた。涼しい風が井上の頬を軽く叩くようにして通り過ぎていった。 2006年 7月 3日 月曜 記 2006年 7月 4日 火曜 記 (文中の敬称を略させていただきました) 旅立ちの歌 第17回 灰色の青春 完 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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