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カテゴリ:手塚治虫とマンガ同人会
●さよならファイト!井上元編集長逝く 第883回 2006年12月24日 井上編集長とのやりとり 元「週刊ファイト編集長」の井上義啓が12月13日に永眠。享年72歳。なお、 故人の遺志により、香典・献花は受け付けないとのこと。(朝刊プロレス2006 12月22日号より) 新大阪新聞社が発行する「週刊ファイト」の元編集長井上義啓さんが12月13日に逝去されたことをメールマガジンで知りました。 週刊ファイトとはボクシング・キックボクシング・プロレスの記事を中心に業界の裏と未来予測をする独特の週刊紙でした。業界の談合を嫌ってかプロレス団体の広報にはならないように努めた功績は大きく、また、新日本プロレスよりに徹底した編集方針がインディーズ的で読者に指示されていたものです。 この新聞はいまでこそセブンイレブンで販売されていますが、昔は駅売りが中心でした。私は18歳から毎週金曜日に米沢駅にこの新聞を購入に通ったものでした。 実は井上さんとは一回だけですが、電話でお話をしたことがありました。 昭和54年か55年ごろですが、私たちが主宰していたマンガ同人会「ボボ」の購読者会員だった元週刊ファイト編集部新城邦夫さんの行方を知りたく、週刊ファイトに電話をしたところ当時の編集長だった井上さんが電話に出られました。 新城さんが読んでいた同人誌「ボボ」をご存知だった井上さんは私の身元やマンガ観をずいぶん訊いてくるのでした。私は調子にのって私の描きたいプロレスマンガの案を述べました。 「うち(ファイト)に連載マンガを描いてみませんか?テーマは任せますから。 はらたいらさんだってうちの紙面にマンガを描いていた。つい先だってまでマンガの連載をしていたが、ファイトのテーマには合わないのですよ。あなたの今のプロレスについての知識を生かしたマンガを描いてみてくれませんかね。おもしろいと思うなあ!?読者からもきっと喜ばれる」 井上さんは私にこう述べるのでした。実はこの頃に私は別なところからもマンガを描かないかと上京を誘われていた時期だったのです。でも、結婚もしていたし、当時は祖母も高齢になっていたのでお断りをしていました。 いま思えば、週刊ファイトには二回ほど私のイラストや漫画集団ボボのことが記事で紹介されていました。それも井上さんのご配慮だったのかもしれませんね。 結局は新城邦夫さんの行方もわかりませんでしたが、井上編集長とのわずか20分間ほどの電話での対話が忘れられない思い出となっています。 とてもよいお言葉をかけていただいたことに感謝しています。 井上さんが編集長をお辞めになってからの週刊ファイトは、私たちの好んで読んだ週刊ファイトからはるか遠くにいってしまった感じでした。一時代を作られた井上義啓のご冥福をお祈りいたします。 合掌 2006年12月24日記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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