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カテゴリ:手塚治虫とマンガ同人会
~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』 ●雑感その7 村上さんが作った山形マンガ同人会 第930回 2007年5月23日 昨夜、偶然に古い書類の中から貴重な資料がたくさん見つかりました。 その中に一通の手紙がありました。 差出人は酒田から三重県四日市に移転された村上彰司さんからでした。 消し印は昭和46年5月18日でした。 中には、B4の用紙に「私の思い出」というタイトルで几帳面なペン字で、村上さんの漫画同人会設立からCOMの「ぐらこん山形支部」結成、真崎守さんの顧問就任までの記録でした。それは昭和41年9月20日から昭和45年7月までの軌跡でした。 山形マンガ同人会の歴史であり、村上さんが足で歩いて県内の多くの同人に接していなければ、あそこまで私たちが同人会を運営し、奇跡的な「山形まんが展」を開いていなかったかもしれません。 また、虫プロ商亊COM編集部との交流も彼の積極的な行動があってのことだったのです。 この文章を読んでから第一部「はじめちゃんの東京騒動記」、第二部「旅立ちの歌」、第三部「「熱い夏の日」に付加しなければならないと、反省しています。 この文章の最後は、 「そして今、あの時の石井編集長の言葉を胸に四日市で暮らしている」 と、書いてありました。 それがCOM編集部へのスカウトだったとは、当時の私たちは知りませんでした。 そして村上さんは重大な決意をしていたことも……。 いずれこのことも第三部「「熱い夏の日」で描かれます。 機会があったら必ず村上さんのこの文章を参考にして、「山形マンガ少年」に付加をして完成していきたいと思います。 山形マンガ同人会の基礎と歴史は村上彰司さんが作ったものであり、村上さんの青春そのものだったのです。 あらためて敬服した次第です。 (写真は左側が村上彰司さん。右側がCOM編集長石井文男さん) *村上彰司……酒田で二つのマンガ同人会を組織後、山形漫画予備軍を結成し、山形県内のマンガ同人会の統一とCOMが主宰していた「ぐらこん」の山形支部結成に尽力した。 (文中の敬称を略させていただきました) ~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●雑感その7 村上さんが作った山形マンガ同人会 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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