みやわき心太郎とCOM
そして石井文男
10月10日の夜9時45分、私の携帯電話に漫画家 みやわき心太郎 先生の死去のメールが届く。
メール発信者は「次女ひよこ」さんと書いてあった。
「昨夜、亡くなりました」と、そしてお通夜と告別式の日時と会場が記されてある。
信じ難かったが、まさかと思い、COM編集長だった石井文男さんに電話をした。
みやわき心太郎先生は1970年代にCOMや青年誌、少年誌などに精力的に作品を発表していた。
地味な絵と抒情的なストーリーはフランス映画を感じさせた。
ほとんどが短編漫画でそしてラブストーリーだった。
少年ジャンプに「ゲバラ」を描いた時が例外だった。
COMの石井さんには、COMの廃刊後もちょくちょくお会いしていた。
石井さんはいつもみやわき先生を気にしていた。
「心太郎は漫画を描くこと以外は不器用だ。
飯だってろくに食べていないはずだ。
それでもあいつは漫画や絵を描く。
本当に研究熱心だ。
ほっとけないよ」
「心太郎は僕のために『あたたかい朝』をCOM復刊号に描いてくれた。
心太郎には珍しい69ページというあいつにしたら長編さ。
でも、虫プロ(商事)が倒産して原稿料が払えなくなった。
僕は心太郎にあわせる顔がないよ」
石井さんは後に主婦の友社から編集を依頼された「ロマン・コミックス」シリーズに「みやわき心太郎・ハートコレクション風花」を連ねた。
そこには「あたたかい朝」も掲載された。
みやわき先生にはようやくわずかでも原稿料が支払われた。
13日のお通夜には石井文男さんも参列する予定だ。
合掌
*あたたかい朝 1973年8月「COM」掲載
2010年10月11日記