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お久しぶりです。ずいぶんとサボってしまいました。 7ケン妻さんから催促いただきまして、こうして書いております。 9月に入って少し涼しくなったかな、と思ったら今日はものすごく暑いです。 まだまだ残暑が続くようなので皆さんお体には十分お気をつけください。 さて、何を書こうかなと考えていたら、 ちょうど一年前におられた患者さんのことが思い出されました。 その人は今日と同じようなとても蒸し暑い日に入院してこられました。 50歳代の男性で膵臓癌の患者さんでした。 何度も抗がん剤の治療を繰り返されていました。 その副作用でかなり衰弱され、 これ以上の治療継続が困難となりこちらにやってこられました。 「僕はまだ治療をあきらめていない。ここで体力をつけて、 もう一度抗がん剤にチャレンジするんだ。」と初日に話されました。 カメラが趣味で、病気になる前撮った風景写真は素晴らしいものでした。 「元気になったら、また撮ってきて先生にも見せてあげるよ。」と笑顔で話されました。 しかし、徐々に病状は進行し、少しずつ衰弱も進行してゆきました。 そんなある日、彼のとなりの部屋の患者さんが亡くなりました。 40歳代の若い男性でした。 臨終の際、奥さんをはじめお子さんたちの悲嘆の声が廊下に響き渡りました。 その直後、彼から「吐き気が止まらない。」とナースコールがありました。 もう彼は一人では起き上がれない状態でした。 制吐薬と抗不安薬を処方しましたが、十分ではなかったようでした。 翌朝夜勤のナースからの報告を聞きました。 彼はその夜、彼女の前で「あのときの声がまだ耳に残っている。 死にたくない。」といって号泣したそうです。 彼女は睡眠薬を渡した後、彼が眠りにつくまで何も言わず 一時間以上ベットサイドに座っていたそうです。 それ以降、彼から嘔気の訴えはありませんでした。 一週間後、彼は穏やかに旅立たれました。 「納棺夫日記」を書かれた詩人の青木新門さんが、 その著書の中でこのような言葉を書かれています。 「末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい、説法も言葉もいらない。 きれいな青空のような瞳をした、透き通った風のような人が、そばにいるだけでいい。」 つらいとき、しんどいとき、何も言わずただそばにいてくれる人があなたにはいますか。 たった一人でいい、そんな人がいてくれるだけで私たちは生きてゆける、僕はそう思います。 今日はその大事な人のことを考える日にしてみてください。またお会いしましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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