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2009.01.22
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カテゴリ:カテゴリ未分類
愛を与えることが、人間にとっていちばんうれしいことなんだ
みなさん、こんにちは。野口 健です。お元気ですか?

夕方、車のライトを点灯するのが、少し遅くなってきたように感じるのです。

少しずつ、日が長くなってきているのでしょうね。今が、一番寒い時期ですけれど
も、春が近づいているのですね。

経済も世界不況ですけれども、このような中にも、さがせば、春が見つけられるに違
いありません。

今日は、私が感動したお話をこのブログに載せさせていただきます。

【愛を与えることが、人間にとっていちばんうれしいことなんだ】

「武ちゃん道路」の思い出



私が父の姿をみたのはたった15年間のことだったが、いろいろな思い出がある。

父から聞いたおいたちによれば、父は幼少のころから家族の縁にうすかったようだ。
第二次大戦中にはロシアに4年間拘留され、復員後は独学で建設、土木工事、鉄工
所、車両整備の学問と技術を取得し、小さな有限会社を経営していた。

しかし、一事業家としておさまらない父は、消防団の団長として防災および人命救助
活動のトップに立ち、数多くの青年とともに活躍していたのである。



近所の人びとからは、「武ちゃん」という愛称で親しまれていた。



仁王のような体つきをしていた父は武術にすぐれ、草相撲でも南九州一である。

「武ちゃん、街でケンカしちょっとよ!悪いちゃけど、止めてくだれんどかい」

そうやって、よくケンカの仲裁をたのみに警察官がかけこんできたものだ。

父の正義感は筋金が入っていた。

火事や天災があれば、真夜中だろうが仕事中だろうが、いちはやく救助活動にでかけ
る。

こまっている人をみると、自分の会社の経営状態が悪かろうと、ほどこしに徹してい
た。

「人が先、自分は後」…この言葉が父の口グセであった。



「井戸のポンプ、こわれったとよ、悪いっちゃけど、修理来てくだれんどかい」

大晦日の夜、除夜の鐘が鳴ろうという時間に、近くの農家から急の依頼がきた。

父はすぐに私をつれて現場にむかった。

なにもこんなときに、とふつうなら思うかもしれない。しかし、声がかかれば、父は
たとえ真夜中であろうと、平気ででかけるような人間だった。

そんな父をいつもみていたから、年越し前のひと仕事も、おどろくほどのものではな
かった。

ポンプは老朽化しており、井戸の奥までおりないと修理できなかった。

しかし、父はためらうことなく、さっさと真っ暗な穴におりていった。ややあって、
修理をすませた父はドロだらけになってのぼってきた。

「すまんなー、武ちゃん。なんぼぐらいやろか…」

「いーっちゃがー!焼酎一杯、飲ましね!」

時間外の急な仕事を、お金をうけとらずに近所づきあいのひとコマにおきかえた、父
のさりげない言葉には、自然な親しみと愛情がこもっていた。



「…ひとし、世の中には、昼でも夜でも、こまったりつらい思いをしている人たちは
いっぱいいる。ポンプの水がでなかったら、あの家の人たちはどんな気持ちだったか
な」

「正月は人も来るし…つらい思いをしたと思う」

「そうだ。あの人たちのよろこぶ顔を忘れたらいかん。自分の家や自分だけよくて
も、それはほんとうのよろこびじゃない」

帰り道にそんな会話をしたのが、つい昨日のように思い出される。

人の気持ちをくみ、人の立場にたった父の人間関係づくりは、終始一貫して徹底して
いた。



私が15歳のときのことである。

この年、宮崎県を台風がおそい、近くの道路が土砂崩れでこわれた。

水分をふくむと極端にもろくなる「白砂」という土でおおわれたこの場所は、それま
でにもたびたび土砂崩れがおこって多くの人が犠牲になった場所で、危険地域に指定
されていた。

地元の業者のあいだでも「修復作業をするには危険すぎる」という声が強く、着工が
さけられていたのである。

「今回の現場はあぶない。しかし、だれかがやらなければならん。『危険』を『安
全』に変える人が、いまは、いる」

父は、母にそう話した。危険なのを承知のうえで、あえて工事の請負を名のりでて、
復旧工事にいどむことにしたのだ。



真っ青に空が晴れあがった朝、父は、はやくにでかけていった。

この日にかぎってどういうわけか、めずらしく家族全員、自宅にそろっていた。

十時半ごろ、自宅のとなりにあった会社から事務員がとびこんできた。

「事故だ!」

私は、一番に駆け出していた。



あまりにも危険な工事だった。

突然くずれてきた土砂があっというまに、父をブルドーザーもろともうめてしまった
のだ。

まだだれも到着しない事故現場を、私はただ泣きながら、スコップでほりつづけた。



前夜、父が私にいった言葉を、今でも鮮明におぼえている。

「体をきたえて、健康をだいじに考えることだ…」

あらたまるように、父は三人の子供一人ひとりに声をかけていた。

父はこのとき、小児マヒで数十回も入退院を繰り返した自分の姉を、ふと思い出して
語っただけかもしれない。しかし、その言葉には、父の心のどこかに死の予感があっ
たのではないか、と思わせるものがあった。



「二度とこんな事故をおこすな」…父の死後、友人や同業の人びとから声があがっ
た。

それはやがて大きな運動になっていった。人びとの声は市に届き、県に届き、やがて
国をうごかした。くずれた道路をおおうように、大きなバイパスが建設された。

そのバイパスは「武ちゃん道路」と名づけられた。

バイパスの終点に建てられた数メートルの石碑には「小坂武敏君に捧ぐ」という詩が
刻印され、事故の教訓がしるされた。



あれから25年。その後、ここで事故や災害はおきてないときいている。

「武ちゃん道路」そのものは、やがてくち果ててゆくことになるだろう。しかし、地
域の安全を願った父の勇気が愛の種となって、多くの人びとの心をうごかした。



父がまいた愛の種…その一粒は、いつしか私の心の中でも発芽していった。

父の生きざまは、「愛を与えることが、人間にとっていちばんうれしいことなんだ
よ」ということを、その身にあらわしたのだと信じている。

人に愛を求める前に、まず人に愛を与える。そういう人生が、もっとも価値のある人
生であると私は信じる。そして、そういう人生を私は生きていきたい。それが父の願
いでもあったはずだと思うのだ。




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Last updated  2009.01.23 10:40:23
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