|
カテゴリ:カフェ・おいしいもの
おもしろいのは、こうするととてもちいさなお弁当箱に見えるようで「あれで足りるの?」なんてよく言われるのですが、友人たちに「ごはんは2膳以上入るんだよ」と言うと驚かれました。たとえば、昨日のはささみ肉だけで3枚入っています。こういうと大抵気の毒そうに「毎朝その量作るとなると、何で埋めるか悩むよね」と。本当にその通りなのです。品数がすくないと、1種類を飽きるほど食べなきゃならないほどの容量ですからね。 さて、今朝は栗ごはんをいれました。昨夜の姑ちゃんからの届きモノですが、タイミングの悪いことにわが家はカレーだったので食べ損ねてしまったのです。餅米だから冷えると固まって食べにくいかもしれないので、まんまるくしてみました。私なら2個でお腹いっぱいになりそうです。 昨日のカレーは野菜をサイコロ切りにしてラタトゥユみたいな感じにしてたので、それにいつものチーズ乗せでオーブントースター。キャベツはゆず味噌で和え、あとはジャコ天と鶏肉を焼いただけ。手間はかかっておらず、今日もどうやってスペースを埋めるかそればかり。 やっぱり、前日にカボチャとか煮ておいた方がいいなぁと感じたこの1週間。「朝をラクにするためよ」と思えばできないことはなさそう。 余談。 今読んでいる『おべんとうの時間』は、カメラマンのご主人が全国のあらゆる仕事、性別、年齢の人たちのお弁当を写真におさめるというライフワークをまとめたもの。取材は奥さんがやっており、お弁当の主からこれを作ってくれた家族のことや仕事のこと、子どもの頃のお弁当の思い出など、インタビューの内容を綴っています。お弁当からその人や家族の姿も浮かび上がるようで、実に興味深い一冊でした。読みながら感じたのは「母はこういうのを作ってくれていた」というのは誰にも鮮明な思い出であるということ。味に対する人の記憶というのはすごいものだなと思います。 なので、味のついた加工品をそのまま入れるだけのお弁当よりも、わずかでも手を尽くして母の味を記憶にとどめさせてやることは、子どもを育てるには重要なことなんだろうなあと。机上の食育教育なんかより、よっぽど効果はあるというものですよ。私にはキャラ弁を作る余力もアイデアもなければ、キレイに彩るセンスもなし。「でもね、ちゃんと作ったよ」ということだけでも伝われば私にとっての意味はあるかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年10月09日 09時24分23秒
|