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カテゴリ:雑貨・アンティーク
手前の赤いのは、私がまだ学生時代、友人を訪ねてよく行っていた京都で買ったもの。茶わん坂の途中にあったちいさなお店で見つけて、一度手にとってやめ、ところが坂をおりきったところで「やっぱり買っとく」とわざわざ引き返して求めたものでした。これの一体どこに魅力を感じたのか、今ではさっぱりわかりません(笑) ところがこのお湯のみ。購入後はすごく重宝していて、バイト先やら職場の湯飲みとして使ったり、結婚後もなぜかこれだけは持ってきたという。ほとんど使わなくなってからも処分せずに食器棚の奥へ。何年か前にこの状態が不憫になり、欠けていた口の部分を金継ぎしてもらって、時々は思い出したように使うようになりました。 その背後の備前焼は、この赤色を使わなくなった時期に毎日使っていたもの。備前焼祭りで見つけて一目惚れ。これは手のおさまりがすごく良いのです。……あっ、そういえば、赤いのもなんだか持ちやすい。若い頃の華奢な手にはぴったりだったでしょうから、ひょっとしたらそういうところが気に入ったのかしら。ということは、どうやら私は、食器は色柄ではなくて、手触りで選んでいる???大事なのはくびれだったのね。ここに手がちゃんとおさまるかどうか。 書きながらいろんなことが「そういえば」と思われます。すっきりとしたデザインが気に入って購入したものは、ほとんど出番がないままだわ。私の手に馴染まなかったせいでしょう。女も湯飲みもくびれが肝心なのね。 今朝は、赤い方で飲んでおります。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年10月31日 10時24分34秒
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