|
カテゴリ:生活
テレビ画面に速報が出た時、息子が「震度7ってすごいんじゃない?」。えっ、震度7??そりゃあ大変よ。阪神大震災の時もそうだった。彼は生後2ヶ月で、こちらも震度4で揺れた。が、そんな赤ちゃん時の記憶があるわけでなし、息子にとっては物心ついてから初めての大地震で、しかも津波の被害もあるという。緊急番組に切り替わって、徐々に被害の様子が見えたときに初めて自然のおそろしさを感じたようでした。
被害エリアに暮らすあの方やこの方の顔が思い浮かばれ、ネット上のつぶやきで安否の確認ができた人にはほっ。電話やメールの殺到で、こういう時にはなかなかつながりにくい状態になるのは過去にもあったこと。何年も会わなかったり、それほど親しくもない間柄のくせに、こういう時だけやたらと心配する人がいるけどそれってどうなのか(えぇ、私は人情に薄いのかもしれません)。家族ならば、万が一のことがあればすぐに駆けつける覚悟もあるだろうけど、すぐに電話したところで部外者である私たちが「大丈夫じゃないよ」と聞いてどんなアクションが起こせるというのか。単なる励ましならもう少し落ち着いてからでもいいし、個人的に何かを送るにしても当日にはもうどうにもならないのだから、ならばこんな緊急時にはせめて被災された方が家族や親しい人と連絡がつきやすいように私たちは電話を控えるのが真っ先にできることなんじゃないのかな。気になって電話しちゃったよ~つながりにくかったよ~というのは、なんか違うような気がして。 そんなわけで、今は心の中でお見舞い申し上げます。 阪神の時には自分が授乳中だったこともあって、首もすわらない赤ちゃんがいる家族やお乳が張って痛いだろう授乳ママたちのことが気になって仕方ありませんでした。どういうアクションを起こせばいいかわからず、直後に救援物資を提供する話に乗っからせていただき、買い置きしていたお乳パットやSサイズのおむつを送ったことを思い出します(まだ救援がどういうものかシステムができてない頃です。今なら必要なものを現地の判断で購入していただけるよう、お金の方がいいだろうことが理解できます)。 神戸大学に通っていた従弟は震災の中心部の木造アパートに暮らしており、下敷きになりながらも助かり、瓦礫から人々を助けながら命からがら岡山にたどりついたとか。 今回もそういう方たちがたくさんいるのでしょう。心が痛みます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年03月12日 10時18分36秒
|