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カテゴリ:生活
阪神の震災の際、被害の大きかった長田区でリーダー的な役割をされてたおじいちゃんと知り合いました。今は岡山に住まれて、月に何度か顔をあわせて会話する間柄です。知り合って半年以上は、天気だとか最近のニュースとか差し障りのない話くらいしかしなかったので、その方がどういう人かを知ったのは半年以上も経っていたと思います。各地の講演会に呼ばれているというのを人伝に聞いて「???」と思っていたところ、ご自身の震災経験を話されているのだと。阪神の際にもしばしばテレビや新聞に出ていたそうなので、地域のリーダーとして復興に尽力された方なのでしょう。
震災の時、新築の家は壊れ夫婦で命からがら逃げ出したこと。自分は全壊した家を前に茫然自失だったのに、奥さんは「命があってよかったー」。それで「女は強い」と感じたこと。食料がなく、みんなおなかを空かせているのに子どもまで誰もそれを口に出さずにがんばったこと。そして、何が大事かというとご近所づきあいであるということをよく話されます。 岡山にはその震災を機に移り住まれた方も多く、私のすぐ近所にもいます(奥さんは「いまだにドアを閉めてトイレに入ることができないのよ」と言います。狭い個室から出られなかった人もたくさんいたのでしょう)。おじいちゃんは現在マンションにお住まいですが、隣近所がどういう人か誰も知ろうとしないことを憂います。「どこどこの子どもだね」とか「あそこには一人ぐらいのおばあさん」という最低限のことも知らないでは、こんな災害があった時に協力もしづらいし、誰が助かって誰が取り残されているのかもわからない。 私も若い頃にはできる限りご近所づきあいのないようなところをと希望していましたが、やっぱりそれじゃダメ。岡山は災害らしい災害がない「晴れの国」ゆえに備えに対しての意識は希薄ですが、モノや場所は確保できたとしても復興のためには近所とのつながりなど人の存在なしにはでき得ないこと。日頃から考えていかないとね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年03月17日 13時57分18秒
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