放射性物質が農産物にという話や、それほど危険じゃないと言われる数値なのにのに報道されたせいで地域が危険呼ばわりされた……と風評被害が言われるけれど、もし「大丈夫だろう」の判断で報道しなかったら「事実を隠蔽」と叩かれる。行政も報道も、このたびのことは特に「とりあえず」の対策で救われたことも多いはず。だけど、一旦落ち着いてみると後から後から「早くこうしてくれていれば」「なぜここに目を向けないの」「報道のあり方はこれでいいのか」と。
私が現場に立っていたら、瞬時の判断でそんな気の利いたことはできない。プロとしての責務はあったとしても、情報も経路も十分でない中で、自分に課せられた責任に応えることはどれくらいできるんだろうかと考える。被災された方の苛立ちや不安はいかばかりかと思われもし、報道を見ている私たちに期待や祈りや怒りやいろいろあるけれど、これだ広域におよぶ甚大な被害の上に原子力発電所の問題。行政や報道する人に「やり方が悪い」とはちょっと言えない私なのでした。後手に回ることもあるだろうし、それではいけないことは承知の上としても見落としはあるのかもしれません。けれど、誰もがそれぞれの立場で今できることを精一杯やっているのだとしたら、何もしない自分が口先だけで責めたり叩いたりはできないなあと。仕事が5つも同時進行すればジタバタしてしまう我がことを思えば、指揮系統にいる人たちがどれだけ脳ミソをフル回転させているんだろうかと頭が下がります。非難の多い菅さんにさえ、お疲れさまですと思ってしまうこの頃。
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最終更新日
2011年03月20日 11時45分49秒
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