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カテゴリ:生活
20年前、原発は安全ですというのに絡んだ仕事が舞い込んだ。クライアントはある市町村で、小さな田舎町なのに原発に絡むことでお金はたくさん落とされてたのでしょう。まちの規模にしては贅沢な仕事が発生しているらしくて、ディレクターは「おいしい仕事だわ」とほくほく。私に与えられたのは原発をPRするものではなくてその田舎町の観光推進に関するものということもあり一度は受けたものの、そのうちその手の施設の見学をする機会が出てきて「これ、危ないんじゃないの?」。エネルギー問題のことなど考えたこともなく、原発についても賛成でも反対でもなかったのに、たかが施設見学に鉄壁なガードを見ては「安全ですといってるけど危険だからこんなんじゃないの?」という空気がありあり。で、なんとなーく自分の中にモヤモヤが生じ、本能に従って仕事を降りました。
ジャンルについては選ばずどんなものでもカモーンの私が、「できません」と断ったのは20年前のこの仕事と、その後に来たダム推進の仕事だけです。 高齢化が進んで経済活動がとまり自治体として成り立たない、だから原発を招致する。そうすると若い人の仕事もできるし、町にお金もおりて地元みんなが潤うじゃないかと。そんな理論で地元を納得させた推進派は今どこにいるのでしょう。今、東電に「なんとかしろ」と詰め寄ってる人、でもその中には危険性と引き替えに経済的な潤いを取った人がいるんじゃない?と複雑な思いも生じます。結局は片棒をかついで長年おいしい思いをしておきながら、今さら被害者面はないでしょうと(地元のすべての人を指してるのではありませんよ。リードしてきた側の人たちのことです)。「キミたちが安全といったじゃないか」と言うけれど、その時には「安全じゃない!」の大きな声もあったはずなのになんで甘い方に引っ張られたんだろうか。安全に関しては毅然とした態度を取らないとエライことになるということが身にしみました。こうした事業を進めてきたはずの、当時の与党=自民党も今では知らん顔で責めてるのも「お前が言うな」と思う。 もっとも、なんでも「反対」だけ叫べばいいんじゃなくて、そのためにまず「原発要らない」電力量にできるような生活にしないとね。何かでも提案してたけど、明け方まで続くテレビの放送やめてもいいよね。看板照らす過剰なライトアップも、(最初はさびしく感じても)なければないで全然OKとも思ったし。コンビニだって、あると便利だけどすべての店が24時間オープンの必要ないもんね。一人ひとりの節電はもちろんとして、国ぐるみだともっと大きく電力削減できるから「原発要らない」国づくりが早く実現するんじゃないのかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年04月13日 10時32分21秒
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