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カテゴリ:歴史
バブルの寵児と言われていた麻布建物の社長さん。
彼が、NHKドキュメンタリーの戦災孤児に出演されていた。 なんと、彼もまた、戦災孤児の一人だったそうなのだ。 孤児として戦後、あまたの困難の中で生き抜いてきた一人だったのです。 戦災孤児 空襲で、家や家族を失った子供たちが、10万人もいたそうです。 彼らは、駅の構内などをねぐらにし、ゴミ箱をあさり、時には盗みを働き、 必死で戦後を生きてきました。 筆舌に尽くしがたい戦後は、戦地や満州引き揚げや、シベリア抑留以外に、内地にもあったということです。 上野駅構内に食べるものもなくうずくまるあまたの孤児たち 三宮駅では、駅から溢れ、外で雑魚寝する孤児たちの写真がありました。 戦争によって親を奪われた子供たち。同じ日本人なのだから、なぜ、彼らが放浪せねばならないかは じゅうじゅうわかっているはずなのに。 人々の孤児たちに対する態度は、野良犬を追い払うかのようであったそうです。 GHQからの指令で、孤児たちを保護するよう日本政府に通達が入ります。 日本政府は、トラックを使って「浮浪児狩り」を始めました。 たくさんの子供たちが、トラックの荷台につめこまれ、保護施設に連れていかれました。 その保護施設は、鉄格子がついた狭い、収容所。 保護とは名ばかりの、監獄のようなところだったそうです。 扱いもひどく、職員による孤児たちへの暴力もあったそうです。 中には、整備された保護施設もあり、そこから学校に通うことができた孤児たちもいたそうです。 しかし、今度は、学校で、孤児たちへの「差別」が待っていました。 子供たちは勿論のこと、教師も一緒に差別をしていたそうで、通っていた孤児たちもほとんどが 学校をやめてしまったそうです。 しかし、中には、同級生からのいじめや暴力にも耐えて、夜間大学まで行き、教師になった方も いらっしゃいました。 なぜ、孤児になったか、同じ日本人ならわかっているはずです。それなのに、教師までもが、 孤児たちを差別するとは、なんと程度の低い教師もいたものでしょう。 好きで孤児になったわけではありません。 大人が勝手に行った戦争で、その巻き添えをくって、親が殺されてしまったのです。 本来なら、補償があって当然位の話です。 大人たちも生きるのに必死で人を構う余裕などなかった。と、番組では話していました。 余裕のなさは、無慈悲を生みます。 それは至極当然です、しかし、あまりにも、あまりにも無慈悲です。 戦争をおこしたのは大人です。子供にはなんの罪もない。 なぜ、孤児になったのか、皆、わかっているはずなのに、、、。 この言葉が何度も頭をよぎりました。 鉄格子のある部屋に詰め込みで、いれられている子供たちの映像がありました。 何十人もの子供たちが鉄格子に手をかけて外をみていました。 これは、なんと形容すればよいのかわからない、人間扱いをしていないとしかいえない映像でした。 日本人は、こういうことができてしまうのだ、ということがショックでした。 しかし、心ある日本人もちゃんといます。待遇改善の要求がなされ、少しづつですが、 孤児たちの施設が、改善されていきます。 当初の鉄格子の収容所に、トラックからおろした子供たちを突っ込んでいた理由ですが、 「孤児の数が多すぎて、収容する場所がなかったから」これが理由でした。 つまり、やるぞという号令はいいのですが、そのあとのことを考えていない つまり、出口戦略がまったくなっていない。 戦争もそうでした、始まりは威勢がよかった、、しかし、終わり方を考えていない。 今のコロナもそうです、出口をどうするか、、今、第二波がきつつあり、重症患者が少ない今のうちに 続々と増えていくかもしれない重症患者への対処として病院の手配、看護師、医師の手配などを ルールをかえても、行えるように国会開いてさっさときめればいいものを、、、やらない。 東京都医師会が、緊急国会を開くように訴えても、国会を開かない。 だからなんにも決まらない。 出口戦略なんてなんにもない。 国連難民高等弁務官の緒方貞子さんは、 緒方さんのプリンシプル(基本原則)である、命を守ること、に全力を注ぐためには、 ルール(行動規範)を変えることも辞さなかったそうです。 プリンシプルは、カントでいうところの「道徳規律」ともいえます。 己の中に、原則を持っていたから、緒方さんは、批判されても堂々としていた。 ルールは、プリンシプルを行う為のただの方法にすぎず、プリンシプルこそが、本当に大事なことであると、 わかっていたのです。そのゆるぎなさが、目の前の多くの命を助けました。 結局、今の政治家にはそれが、「ない」! 話が横にそれてしまいました。 戦災孤児たちへの大人たちや政府の対応のひどさは、「かわいそう」「ひどい」を通り越して、 私には、敗戦を全く反省していないあらわれにとらえられました。 戦争を始めて負けたら、多額の賠償だけでなく、様々なことがおこること、戦災孤児が増えることだって 予測可能だったはず。しかし、そういった出口がまったくない。 ないうえに、逆に彼らを迫害する。 国というものは、そういうことをする組織なのだと認識しておく必要がある、そんな風に観ました。 そして、一般市民も、敗戦を反省していないから、犠牲者である戦災孤児たちに対してひどい態度を とれるのです。 自分の子供が戦災孤児になっていたかもしれないのだ、自分の子供の身代わりになっているのかもしれないのだ、駅の構内で腹をすかして横たわっている孤児たちは、時と場所が違い、自分がなくなっていたら、自分の子供がそうなっていたかもしれないのだ。 それを思ったら、、、大人たちは、もう少し、優しい態度がとれたのではないだろうか。 やはり、戦争だけはしてはいけない。 そう思える深いドキュメンタリーでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.08.11 12:12:04
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