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カテゴリ:歴史
チトーは、東西冷静下、ユーゴスラビアのトップ。
東側にいちするユーゴスラビアであるし、 一応共産主義にもかかわらず、ソ連とは袂をわかち、独立していた。 あの火薬庫とよばれたバルカン半島を静かにさせていたのがチトーだ 彼のせいさくは、民族主義への寛容。 クロアチア人の父と、スロベニア人の母をもつみが、そうさせたのか。民族の自治をある程度認めていた。 彼の名前にひかれたのは、ソ連のブレジネフが、彼の名前を発してから。 それまでは、私もまだ小さく、東側独裁者の一人くらいにしかおもっていなかった。 いつ発したか。 それは、プラハの春への軍事介入に関しての会議、有名なブレジネフドクトリンが発せられたばです。 ブレジネフがいった。 「 プラハへ、軍事介入を行う。 問題ない。 チトーが、文句を言うくらいだろう。」 チトー?チトーだけは文句をいう? あの大国ソ連に唯一文句を言える、チトー って、、、と、興味をもちました。 チトーは、在任中、共産主義主義にはあるまじき、チトー批判を容認したり、前述しましたが、各民族に対して自治権を与えていました。 その政治手法は、チトー主義ともよばれ、 バルカン半島の平和に一役かっていたのです。チトーは、本物の対ドイツパルチザンの英雄です。どこぞの国の偽物とは違います。 もともと労働者であり、まさに叩き上げなのです。 そのチトーがなくなってから、 あのおどろおどろしいユーゴスラビア内戦が起きました。 チトーは、偉大でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.08.19 17:39:29
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