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丁寧な暮らし

丁寧な暮らし

2020.08.19
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カテゴリ:歴史
チトーは、東西冷静下、ユーゴスラビアのトップ。
東側にいちするユーゴスラビアであるし、
一応共産主義にもかかわらず、ソ連とは袂をわかち、独立していた。
あの火薬庫とよばれたバルカン半島を静かにさせていたのがチトーだ
彼のせいさくは、民族主義への寛容。
クロアチア人の父と、スロベニア人の母をもつみが、そうさせたのか。民族の自治をある程度認めていた。
彼の名前にひかれたのは、ソ連のブレジネフが、彼の名前を発してから。
それまでは、私もまだ小さく、東側独裁者の一人くらいにしかおもっていなかった。

いつ発したか。
それは、プラハの春への軍事介入に関しての会議、有名なブレジネフドクトリンが発せられたばです。

ブレジネフがいった。
「 プラハへ、軍事介入を行う。
問題ない。
チトーが、文句を言うくらいだろう。」
チトー?チトーだけは文句をいう?
あの大国ソ連に唯一文句を言える、チトー
って、、、と、興味をもちました。

チトーは、在任中、共産主義主義にはあるまじき、チトー批判を容認したり、前述しましたが、各民族に対して自治権を与えていました。
その政治手法は、チトー主義ともよばれ、
バルカン半島の平和に一役かっていたのです。チトーは、本物の対ドイツパルチザンの英雄です。どこぞの国の偽物とは違います。
もともと労働者であり、まさに叩き上げなのです。


そのチトーがなくなってから、
あのおどろおどろしいユーゴスラビア内戦が起きました。
チトーは、偉大でした。





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最終更新日  2020.08.19 17:39:29
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