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カテゴリ:生活
毎週日曜日の朝、秀逸なドキュメンタリー目撃にっぽんが、放映されている。 埼玉県東松山に丸木美術館はある、 丸木位里、丸木俊夫妻が描いた15部からなる原爆の絵が展示されている。 三人の大学生が、それぞれの想いをもとに、原爆の絵に臨む。 ある女子学生は、親との関係性に悩んでいる。母親は中国のかた。父親は日本人。 父親のうつ病をきっかけに、家族が崩壊した。父親にかわり、介護で働く母親は、日頃のストレスを彼女にむけた。辛い毎日、女子学生は、一人耐えてきた。母親と彼女の間に、どうしても埋められない溝があり、彼女は、大学入学後、すぐに家をでた。 そして両親は別居した。 女子学生が気になった絵は、母子像だった。原爆投下後、ただれた顔で、水のなかで、我が子をだく絵だ。母子像に自らを重ねた。 母も。こんな風に抱いていてくれたのだろうか、そんな思いでみたという。 もう一人の女子学生は、いじめを受けていた。中学一年の終わりぐらいから、毎日のように、しね、といわれ続けた。 死にたかった、まじ、やばかった、と、当時を思い出しながらも、顔は笑っていた。 彼女は、笑うしかなかったのだ。 しね、と言われても、言い返すこともできず、ただ、笑ってやりすごすしかなかった。 なににたいしても伝えることを諦め、なにか言うのも、面倒くさいし、くさいものには蓋を、が、一番楽な生き方だから、と、そうしつづけた。 そんな彼女が、観ていた絵は、焼津という絵だった。 たくさんの焼津のりょうみんたちが、水爆の実験にたいして無言で抗議をしている絵だった。 絵からはいいようのない怒りが、感じられた。 女子学生は、この絵をみて、なぜか謝りたくなり、「ごめんなさい」と、思ったという。 りょうみんたちのめは、ごまかしを許さない目だった。 くさいものに蓋をという楽な生き方をしてきた自分を恥じたのか、彼女は、もうへらへらしない、と、卒業アルバムに笑ってうつっている自分に決別を決めた。 広島出身の、男子学生は、平和授業に辟易していた。 戦争は、いけない、平和は大事、はい、おしまいの繰り返しに、うんざりしていた。 しかし、原爆の絵を目の前にしたかれは、絵に圧倒されたそうだ。 軽口を叩いていた彼だったが、絵をみたあとは、言葉少なだった。 描かれている人々の人生が、凝縮されているのを絵の中にみた。 そして原水爆禁止の署名をする絵が、気になった。 平和を当たり前と、軽んじ、なにもしない自分が、責められているように感じた。 三人は、絵をみてから、考えがかわった。 親との亀裂に悩む女子学生は、この間、父の死に直面する。 父がなくなった家にいき、父の遺品から、自分が、かつて父にあてた手紙や絵がでできた、それを一枚一枚、見たあと、彼女は、父親の写真にむかって、ごめんなさい、と一言言った。 そして、母には手紙をかいた。 彼女は、母子像の絵に、憎しみの対象である母の姿を重ねた。 母子像を見て沸き上がった生への感謝と今までの母親への憎しみと、背反する感情が彼女のなかに生まれた。にくしみと、かんしゃの、はざまででいきることは、難しい。でも、苦悩しながらも、生きていけば、いつか、きっと、こたえがみつかる。 そういって、静かに、笑った。 いじめを受けていた女子学生も、また、焼津のりょうみんたちの眼差しに謝ってから自分の気持ちを前に出す勇気をもらった。 平和授業にうんざりしていた男子学生、 間違った解釈であっても、自分が感じた平和にたいする思いを、自由に考えればよいという、誤読という手法を、丸木美術館の学芸員、岡村さんから学んだ。 絵は、時代時代で、解釈がかわってもよいと、岡村さんは、彼らにといた。 「絵は時代によって、見方よみかたがかわる。作者の意図をこえて時代状況を反映するかもしれない。 誤読かもしれないが、案外その誤読が、今の時代とその当時を接続させてしまうかもしれない。」 男子学生は、お仕着せの平和から抜け出すヒントを絵から、そして丸木美術館の学芸員さんからもらった。 教育実習にいく道すがら、男子学生は、 「一方的に物事をおしえるのではなく、自分の、身近にある戦争を自分でみつけられるように促せるのが一番だな」と、 うんざりしていたはずの平和学習への意欲を口にした。 家庭不和の女子学生が、辛い話になると、笑顔になるのが、見ていて辛かった。 いじめを受けていた女子学生も、死にたかったといいながら、笑っていた。 笑うということで、自分を必死に守っていたのだ。 いじめられていた彼女が、自分を、へらへらと、卑下していたが、へらへらは、必死の防衛であり、SOSだった。 卑下してはいけないよ、と言いたかった。 男子学生が、自分なりの平和学習をつくろうと思うに至るには、ずっと平和学習を受けていた素地があるからだ。 平和学習を受けながら、違う、違うと、思っていたのだろう。自ら考えたかったが、平和は大事、戦争はいけない、という結論ありきに、思考が不完全燃焼させられ、うんざりしてしまっていたのかもしれない。 しかし、その、違う、うんざりと思う過程で培ったもやもやのパワーが、学芸員さんの言葉や、原爆の絵によって解き放たれた。実習に向かう清々しい顔が印象的だった。 丸木夫妻の絵が、彼らに勇気や、違った視点を与えました。みるものの感性を刺激し、内なる力を目覚めさせる、 原爆の絵には、圧倒的なメッセージがこめられているのだと思います。 今回も、中身の濃い内容でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.10.20 13:01:25
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