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丁寧な暮らし

丁寧な暮らし

2020.10.24
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カテゴリ:生活
小さい頃の記憶がある。
多分1歳前後の記憶、私が寝ていると、誰かが顔にハンカチを被せた。
とても苦しくて顔を動かしていたら、誰かが来て、わあわあ騒いで、ハンカチは、顔からとられ、苦しいのがなおった。

そのあとまた、違うひ、私は誰かに抱っこされ、こたつにいた。
野球帽をかぶった子供が、泣きながら、目の前をいったりきたりしている、
和室のこたつで、前に縁側がある。
その縁側の先で子供が、騒いでいるのだ。
「何で、捨ててないんだよ!早く、捨ててきて。捨てるっていったじゃないか」

「ああ、捨てるよ、後で捨ててくる」
祖母らしき人の声

「今、捨ててきて。早く」

「わかったから、早く行きなさい」

「絶対だよ、絶対、捨ててきて」
泣きながら、ごねている少年。
私はそのぶざまな姿をしっかりとこたつのなかで見ていた。
少年は、私を捨てろとさわいでいた。
野球帽の少年は、兄である
そこまでを、はっきりと映像でおぼえている。

私が生まれた瞬間から兄との確執は、始まっていた。
ハンカチをかけたのも、兄だと思う。
殺されかけた(笑)

年が6つはなれているので、一人っ子で天下だったはずが、私の登場で天下を奪われ、許せなかったのだろう。
小学生のころは、なんでも私に用事をいいつけ、自分はさぼっていた。
しかし、親に見つかり怒られると、私の頭をごつんとした。
いつも、ごつんとするので、頭に来た私は、とうとう、噛みついた。
「いたい、いたい、いたい、、」と、じたばた暴れたが、私はすっぽんのように、放さなかった。
すぐに母がきて、私をはなした。
兄はわあわあ泣いて、私が急に噛みついたと嘘をいった。
噛みついた腕には血がにじみ、くっきりと歯形がついていた。
母も、わかっていて、私のことを怒らなかった。
以来、兄は私が怖いようで、意地悪はしなくなった。

兄が、そろばん塾をやめるときに、わあわあ泣いて、いきたくないとごねていた。
祖父母の部屋で、仏様のお仏壇のしたで、引っくり返ってやっていた。
私はその姿を廊下から見ていた。
次のひ、兄はそろばん塾をやめた。
私はそのとき、6歳だったが、これは、だめだ、と思った。
親たちは兄に甘いと思った。

私が中学3年、兄が大学3年のときに、祖父がなくなった。
祖父の遺体を家に戻すときに、兄が、おじいちゃんをつれてくるからな、と、言ったのだが、その言い方が、なんだか芝居じみていて、私は受け付けられなかった。
その日以来、兄を見ると、嫌な顔をした。

母が旅行で、祖母と兄と父しかいなかったひに、兄と廊下ですれちがった。
いつものように、表情なく通りすぎたら、何が気に入らないのか、急に殴ってきた。
え?とおもったら、ボカボカ殴ってきて、足でけりまでいれるしまつ。
更に顔にビンタを、ばちんばちんと、何回かされた。
咄嗟のことで、いたい、なにすんのよ、としかいえず、防戦一方だったが、兄が後ろを向いたその瞬間に飛び蹴りをして、兄を転ばせてしまった。
更に兄は転んだ拍子に敷居におでこをぶつけ、流血もしていた。
どたばたやっていたので、祖母がきて、とめた。
「大学3年にもなって、中学生相手に、、」と、祖母は、嘆いていた。

最終的に、いつも、大きく怪我をするのは、自分と悟ったのか、以来なにもしてこなくなったが、私はこのいっけんにはらをたて、一生口きかない、と、決めたのだ。
高校3年、大学4年、全く口をきかなかった。結婚してからは、多少きいたが、打ち解けるということは、今世ではないだろうと思っている。

だから、栗橋さんと、妹さんの話には心から感動する。泣いてしまった。
栗橋さんは、よいお兄さんだったんだろうな、とただ、ただ、羨ましい。
そうでなければ、妹さんはそこまでしないと思う。

そういえば、兄が、かぶっていた野球帽、巨人だった。だから、本能的に巨人が嫌いなのかもしれない。





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最終更新日  2020.10.24 08:05:31
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