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カテゴリ:日常生活
私は大学3年生のときから教養科目で韓国語をかじり始めたのだが、大学3,4年と韓国に来てからの大学院生活でとってもお世話になったR先生がいる。
私の母校の韓国人の教授で大学時代は一緒に何度もご馳走してくれたり、とにかく尊敬尊敬で、先生も私を娘と呼ぶほどだった。 私のような勉強もなんなのか分からないものを某公立大学に後輩教授がいるとかで韓国の大学院にいれてくれ(ゼンゼン私の実力じゃないの)、院卒業後も日本に呼び戻したがっていた。 私にすごく期待をしてくれてかわいがってくださっていた。 それが私たるもの、期待をうらぎり韓国で就職、しかも契約職などやっている。 そのうえ反対?されていた韓国男児と結婚までしてしまった・・・。 私の母校で一緒にR教授とともに奥さんのO教授も同じく日韓比較研究など授業を持っていて、わたしはR教授、O教授ともに超お世話になっていたのだった。 O教授は私が在学中のころから韓国に行っても韓国男児と結婚することはダメよ。絶対に大変なことなんだから。と何度も言われていた。 そのためか、チノと付き合いだしてから後ろめたさもあり音信普通になりがちになって、そのうえこの教授夫婦が引越しにあたり、住所も連絡先も途絶えてしまったのだった。 でもこれはチョット言い訳だけど↑ 人間世界は狭いもので、私の主礼をしてくれた牧師先生とR先生、O先生はたまた私の出た院の指導教授S先生は全部知り合いであるので、牧師先生に連絡すれば全部の連絡先がわかるわけで・・・。 結婚前いろいろ悩んだ末に、何も言わずに結婚するのはとても気が引けるので、いちおう招待状だけは送ろうと思い、手紙と一緒に日本に送ったのだった。 数週間後O先生とR先生から手紙が届いた。 とても言葉では表しきれない手紙で、ああ親心を知らない娘だったんだなって思う「じーん」と「きゅん」というキモチ?まあとにかくありがたくて申し訳なくて。 内容はただただ「おめでとう、がんばるんだよ、みるかるさんならきっと頑張れるからね」。 というもの。日本に帰ったら絶対に連絡してお会いしなくては!と心に誓うものだった。 そんでもって本日 S先生から電話。(この方も超律儀。式にこれないからと郵送でオンライン替証書を送ってくださった。式にこれない友達はいっせいに口座番号教えろというけれど、この方ホントに知恵ロウウン方) 「R先生が来られたよ」と 聞くと体調がよくなくて、こちらで治療をするために来られたとこのこと。 R先生もう私の母校は引退されているけれど、現役時代には夏に胃がんの手術をして1ヶ月ちょっと休んですぐに復帰するめちゃめちゃ熱血先生だった。 70を超えているのでそろそろいろんなところが故障し始めたと言っていたけれど・・。 O先生とも通話して、結局今回は会うことができないようだった。 「娘がこんなに心配しているのに、元気にならなくてはいけませんよ、新郎にあわせるまで絶対元気になってくださいよ」 と言って電話を切った。 この一言で済ませられることなのに、私が高校ではたらいて2年半の間、親孝行(?)ができなくて申し訳なかった。 一度の電話で、いままでのわだかまり?私だけが持っていたのかもしれないけれど、後ろめたさが無くなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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