カテゴリ:ぷらいべぇと
私がこのブログの更新が途絶え気味になってしまった頃から本当にいろんなことがあり、心境の変化だったり、価値観が変わってしまったんだけど、そのうちのひとつが12月6日に祖父が亡くなったことかもしれない。
その前の週末、アビーにいたら母親から連絡がきて、寝たり起きたりの生活とはいえ、全然元気だった祖父がトイレで倒れて、そのまま救急車で運ばれ、病院に行ったらあと2,3日と言われてしまったと。とりあえず様子を見ろということだったんだけど、翌日やっぱり危ないということだったので、意識があるうちに帰る事にして、飛行機に飛び乗った。落ち着いていたつもりだったんだけどやっぱり慌てていたらしく、お風呂の水を抜き忘れてました(笑)翌日の洗濯に使うつもりだったんだよねー。 病院のICUで久しぶりに会った祖父はもう自分で呼吸することもできず、自分で起き上がることもできず。ものすごくつらそうな姿に涙が止まらなかった。それでも何とか意識はあって私の顔を見ると、私の名前を呼び、おじいちゃん、死にそうだ・・・と。これが結局最後にかわした言葉になりました。その後急速に容態は悪化し、私が戻って2日後になくなりました。 おじいちゃんは明治生まれにしてはものすごく女に対して進歩的な考えを持ってた人で、本心はどうかしれないけど、私は女の子だからこう、とかいうことを一度も言われたことがなかった。私が20代後半を過ぎてからは、なにも結婚してよその男の飯の世話ばっかりして人生を送ることもない、やりたいことをやって生きろといわれたこともある。仕事の話も通じるし、自分の面白い体験をよく語ってくれる人だった。明治生まれの人がどうしてそういう価値観をもつようになったのか、もっと聞いて見ればよかったなと今となっては思う。 そして感じるのは、本当におじいちゃんに見守られていたんだな、ということ。たくさんの息子、娘、孫、ひ孫がいるのに、一人一人の個性を見抜いていて、みんな見守られているという感覚を持っていたんだなと、思った。お葬式までの間、ここ10年以上ゆっくり話もしていなかった従姉妹たちとたくさん話をして、同じように思っていた。そして初めて幼少の頃の思い出を語った。私にはどうでもいいことを他の従姉妹はたくさん覚えていたり、私にとってトラウマと言ってもいいようなことも、覚えていなかったり。子供の頃だけに強烈な印象をもっていた出来事をたくさん口にして、みんなで話したら、本当にクリアになった。そして、やっぱり自分のルーツみたいなものだから大事にしなくちゃいけないなと。心配してくれる人がいる、気にかけてくれる人がいるんだと。 そんなことを感じたわけだけど、じゃそれが表立って私の何を変えたんだ、っていうと表面的には変わってない。相変わらず仕事をしたい、成長したい、頑張りたいって気持ちは変わらない。上手くいえないけど、深いところで影響を及ぼされてるな。2度と会えなくなる人達がいっぱいいるんだから、もっともっと大事にしていかなくちゃいけないな、みたいな。 仕事で49日にもいけずだったので、今月中には一度おじいちゃんの好きだった最中を持ってお墓参りに行こうと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.02.09 12:45:07
コメント(0) | コメントを書く |
|