この世に生んでくれてありがとう。
母が旅立ちました。77才でした。母がお世話になっているめいっこさんからの一報で母の死を知りました。生みの親である母と私は、15年前以来会っていませんでした。私には育ての親がおり、そちらの義理をたてることを考えると会いたいけどあえないとういう複雑な心境で、なかなか自分の気持ちに正直にはなれませんでした。こんな形で対面するとは夢にも思っていなかったので、正直びっくりしました。なので、ひとりで、母の住む鳥取へ向かうのには勇気が必要でした。知っている人は誰ひとりいないからです。しかし、その勇気を振り絞って、後悔のないようお見送りすることを決めました。行きのバスの中、なにも考えていないのに涙が溢れてきました。なにかを感じたかのごとく、涙は溢れます。涙が溢れる度に、母のことが頭をかけめぐり、ますます涙が止まりません。やっとの思いで、気持ちを落ち着け、現地に到着。その日は、宿を取っていたので、ひとりで過ごし、次の日の朝、めいっこさんがホテルの前まで迎えにきてくれました。はじめての?母方のいとこさん。はじめましてなのですが、なぜか懐かしい気がして、すぐに打ち解けました。母は自宅で棺に入っていました。とてもきれいでやすらかな顔をしていました。ご近所の方がこられて、母の趣味のものや素敵な着物をかけていただき、出棺となりました。喪主は、いとこがつとめてくれたのですが、私が霊柩車に乗ることになりました。葬儀社の方に、長年あってないことをお話しすると、横にのって、窓を開けて最後のお別れをしていいですよといってくださいましたので、焼き場に着くまで、しっかりと母の顔を見てお別れすることができました。自宅に戻ると祭壇が組まれていました。母のお友達はご近所さんが多いということで、自宅葬となったそうです。ご近所の方が次々こられて、母も喜んでいたと思います。お経が終わり、母と仲がよかった方から、次々と手を握りながらご挨拶いただきました。みなさん、初めて出会う方々ばかり。その手は温かく、母の人となり感じさせていただけるお話をたくさんしていただき、こちらにきて本当によかったと思いました。人にやさしく、温かく、常に感謝の気持ちをもって人と接していた母。この鳥取でひとりで暮してはいたけれど、いつも近所の人に助けてもらって生活していたことは、電話で聞いていました。こんなにも温かい人たちに囲まれて暮らしていたのかと思うと、幸せな人生を送っていたんだろうなぁと感じました。母が亡くなったという悲しい気持ちよりも、私を産んでくれたことへの感謝と、たくさんの人からの母への感謝の気持ちを私が頂いたことで、悲しみを超える感謝の気持ちを受け取りました。本当に、大変ありがたく思っています。勿論、この世に母がいないと思うととても寂しい気持ちにはなりますが、前を向いて自分らしく生きて行くことが供養だと思っています。いとこが言ってました。鏡をみると、その姿は母と似通った自分がいるよって。(いとこはお父様を2年前に亡くされ、そう思ったそうです。)母はここにいるって思えばね・・・・・こんな優しい言葉をかけてくれる いとこと出会ったことにも感謝です。本当に、あなたの娘にうまれてよかった。本当に、ありがとう。今日もありがとう。