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9月11日というのは数年前の大事件のせいでいまや世界的に有名?な日になってますけど、
わがやの長女の誕生日なのです。 はっぱちーゆー。(=ハッピーバースデートゥユー:サク) いろいろあったなあ。(ってちょっと年寄りっぽい?) 長女と母親ってのはむずかしいんでしょうか。 いや、それだけじゃなくてわたしと彼女の相性というか、 くみあわせもあるのでしょうね。 たぶんこれからも、彼女が思春期になってからとか、 もっといっぱいぶつかるんでしょう。 そのためにもわたしも大人にならねば。 つきなみだけど、わたしも親になってから7年目なんだわあ、と 思いました。 1人目はかわいくてかわいくて、 でもそれなりに初めてだから戸惑いとか自信のなさもあって、 2人目はこれまたもっとかわいくてかわいくて、 2人目の余裕みたいなのはたしかにあるけれど、 でも2人の親になったのは初めてで、 下をかわいがると上をほったらかしているような、 へんな罪悪感がいっぱいで、自分の中でどうしてもわりきれなくって、 いつもどっちつかずになってしまい、 さらに、反抗期?(成長期?)の上の子が憎らしくてたまらない気持ちがわきあがり、 保育園から上の子がかえってくる時間がとてもゆううつで、 そんな風に思う自分もいやだったし、 自分がそう思うから上の子が赤ちゃんがえりが激しいのだと思ってみたり、 これでいいんだろうか、 こんなんでこの先どうなってしまうんだろうか、とか、不安でたまらなくて、 でも、ふつう子ども2人いる人なんてざらにいて、 そして自分以外はうまく2人育てやってるように見えてしまうもんで、 上の子にも下の子にもちゃんと接してないように思える自分がなさけなくて、 つらかったです。 でもそれって、今思えばしょうがなくて、(しょうがないというのはちょっと違うか?) どちらもかわいいんだからかわいがっていてよくて、 上の子はやっぱりにくたらしくてもよくって、 あの頃はとても一生懸命で、たぶんがっちりその状況に向かい合っていて、 それはそれでよかったんじゃないかなーなどとおもえる。 まわりに話して相談してみても、ありがたいことばはあったけれど、 だからといってその状況が変わるわけでもなくて、 たとえば、「話を聞いてもらえてすっきりしました。 あれ以来うまくすごせてます。どうもありがとう。」 とかですっきりしちゃう人もいるなかで、 わたしはいつまでも納得できずにもんもんとしていて、 結局は自分で自分におとしまえをつけるしかないようなところがあるのだなということを思い、 納得しどころってのは各自違うものなんだなあというのを実感して、 人に答えをもとめるのは違うんだなあとか思って、 たよれるのは自分だけ、とかみょうにストイックに思ってたような気もする。 それでそんなつらかった中で3人目を妊娠したときは、 逆に腹がすわって、よし、この子たちを育てるためならなんでもやってやる、とすごい強気だったんだけど、 お産直前は2人目の産後がよみがえってきて不安になっちゃって、 2人でもあれだけ大変なのに3人になったらどれだけ大変なのか、、、 と産後恐怖症だったけれども、 実際3人産んでみたら、つきものがおちたように気持ちが楽になりました。 それにはいろいろ理由はあるとおもうんだけど、 ・まず第1に体調が良かったこと。(たぶんこれは大事だとおもう。) ・まわりのネットワークがよかったこと。精神的にも物理的にもちょうどいい支えがあった。 ・下の子だけをかわいがっていても、上の子がひとりぼっちじゃなくふたりだったので、前ほどほったらかしてるような罪悪感がなかったこと。 ・3人もうんですごいねーとかほめられる?ことがなんどもあったこと。 ・空亡の3年間があけたから。 ってかんじでしょうか。 と、実家からの帰りの車を運転しながら、 後ろ座席でやたら盛り上がって楽しそうな子どもたちをうるさいなあと思いつつ、この7年をいろいろと思い出してました。 1日遅れだけど、明日おたんじょうびパーティーやります。 プレゼントは新しい自転車、色はピンク、 ごちそうはチキンとチョコレートケーキがいいんだってさ! 月おうしのこうるさい長女のリクエストはかなりこだわり深くてうるさいのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005/09/12 02:24:17 AM
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