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テーマ:赤ちゃんが欲しい!(9165)
カテゴリ:ミシェルのあたふた日記
ものすごく久しぶりの日記です。 とってもご無沙汰しています。 実は、赤ちゃんが出来ました。 今年の目標が赤ちゃんだったので、 もう、嬉しくて、嬉しくて。男の子二人だから、 次は女の子ってずっと思っていたけど、 年齢が進むにつれて、男の子でも女の子でも どっちでも授かればいいという思いに変わりました。 もうすぐ40歳の私。 やっぱり、かいちーやりんりんの時と違って 心配ばかりの毎日を送ってました。 10年振りの妊婦生活なので・・・。 検査薬で2週目で赤ちゃんが出来たと分かって、 病院に連絡したら、4週目で来てくださいと言われ、 「赤ちゃんの部屋があるよ~」 先生に言われた時は、嬉しかった。 でも、子宮に出血の跡があるから、注意するように言われました。 私、実は今年育成会長で、テンテコマイの日々です。 少し前の資源回収で 重い荷物を持っていたら、お腹が痛くなって 「後で友達にやっぱり資源回収の時だよ~」って 言われました。 私自身出血を見ることはなかったのですが、 6週目に入ってから、出血が始りました。 心配で毎週病院に行ってました。 今回は、初めてつわりがなかったので、 本当に、赤ちゃんいるのかな? と不思議な感じでした。 赤ちゃんが出来たことを一番喜んだのは、次男のりんりんです。 お兄ちゃんになるのがう嬉しいようでした。、 お兄ちゃんのかいちー。 もう、中学生になりました。 かいちーは、ずっと二人兄弟だと思ってたと言ってました。 3か月検診の11月の4日 赤ちゃんの心臓が動いてないと言われました。 家に帰ってから、パパと二人で泣きました。 その後、りんりんも帰ってきて、毛布かぶって 泣いてました。 「ママ、本当なの?」って聞かれて、うなずきました。 どんどんお腹が痛くなって、出血もひどくて もう、赤ちゃんはダメなんだなぁと 目に見えて分かりました。 一晩眠れぬ夜を過ごし、 次の日先生の配慮でもう一度診察をしました。 でも、一度止まった心臓が動くはずなく、 出血がひどいのでそのまま手術になりました。 周りに流産したお友達はいたけど、詳しく聞いたこともなく、 手術のことも良く知りませんでした。 先生に大きい声で「流産!」て叫ばれて、 子宮口を広げる処置をしました。 ものすごく痛くて、びっくりしました。 それから、待合室で座ってた時、 涙がこみあげてきました。 先生に呼ばれて、普段人前では泣かないのに、 号泣してしまいました。 午後手術になりました。 手術は分娩台でした。 本当なら、来年ここで産むはずだったのに・・・・ 終わって、誰も居なくなって、一人分娩台で寝てました。 目を閉じると、夢ばかりみました。 先生に赤ちゃんは双子ちゃんかもって聞いていたから、 かいちーとりんりんと男の子二人の赤ちゃんが リビングで遊んでいる夢。 次の夢は、髪の長い女の子が走り回って ドアに紙袋を掛けたところで終わりました。 友達は、赤ちゃんは女の子だったよねって 言ってたから、そうなのかな? 双子ちゃんかもって言ったのは、院長先生だったけど、 次の診察でねって言われて、 良く分からないままでした。 血圧がどんどん下がって、麻酔の為か、 吐き気がすごくて苦しかったです。 主人が来てくれて、車いすで病室で運ばれました。 一人部屋なのが救いでした。 赤ちゃんの心臓が動いているのをエコーで2回見ました。 先生が心臓が弱い子だったのかもねって 言ってたけど、やっぱり自分を責めて責めて 一週間泣いてました。会長の仕事もあったし、 お腹痛いのに、無理して動いていたのは、事実です。 赤ちゃんはママを助ける為に 生まれてくると聞きました。 流産死産した時、赤ちゃんのメッセージが 隠されているそうです。 もう、12月なので 年賀はがき作らないといけないけど。 子供が生まれてから、毎年ものすごく張り切って 作ってきた年賀状。 まったく作る気がしません。 流産とはいっても、我が子が亡くなった ことに変わりがなく、でも、喪中にする訳にはいかないので 辛いです。 流産がこんなに哀しくて辛いことだなんて 思ってませんでした。 無事に産んで抱っこしてあげたかったな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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