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何回も
焼き直して書いてる感のある じじいが死んだときの話 ですが しつこく書きます 春がようやく訪れた明け方 じじいが息を引き取る今際 私と弟は 病院で朝を迎える ちょっと特別な状況に ちょっとだけわくわくして 病室から少し離れた給湯室で はらへった~ なんつって カップラーメンを食べるべく お湯をわかしていたんでした 白くてひんやりとした朝 そこへおかあさんが 何やってるの?! と 飛び込んできて 病室にすっとんでくと じじいは最期の息を吐き終わった瞬間でした この決定的瞬間に 己らの空腹という事由で 立ち会いそこねた という 間抜けさが いかにも自分たちらしく 「ご臨終です」 で そこから始まる てんやわんやが どういう順番で起きたかも覚えてないですが 弟とふたりで屋上に上がって 白いふうわりとした春の朝の空気を眺めながら ちょっと前まで鼓動して呼吸していたあの体が もう二度と動くことはないという 動かしようのない事実に 泣きたいのを こらえたり 押し殺したり そんで泣いたり しながら ぼんやりと これからも生きていくってことには きっと多分 今まだ生きてる大切な人たちを 一人ずつ見送らなきゃいけない ということが付随してくる であろうことを思うと こりゃ、「生きてる」なんてやってらんないぜ! と思った瞬間に 下から ふうわりと浮かんできた 白い泡のような 私も命だ という声みたいなものに包まれ… というか降ってきた… というか… そしたらしょうがないからこれからも生きるか と 思ったんでした ってのを ここ何ヶ月か 何度も思い出していたわけです で 話は変わって じゃん 手術することになりました 動物の医療費は高いぜ! と 思いつつ でも 命って買えるものであったら やっぱり買うだろうなと思いました 売ろうとは絶対(多分)思いませんが まあ 実際に買うのは 医療サービス、なんですけどね お金ってこうやって使うのかー と 思ってみたりする次第 病、病ねー 生まれてきてしまったからには 病むか、老いるか、事故でか で 死ななきゃ この世の真実の帳尻が合わないわけで 病気も生きている過程、証 ひいては命の一部なわけで ここでは もうしばらく一緒にいようぜ という 飼い主側の都合に付き合っていただき 手術してもらって あとは じゃんくんの命と運 それはまさしく命運 にだけ 任せた 鼓動して 呼吸して くそして あったかい 生きてる 命ってばすごい装置だ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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