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つい先日
初めてのエアメール を 送ってくれた友人が 亡くなったと 知りました まだ「届いたよ」の メールをしてないな と 思いながら 今日の昼休みに 再び眺めなんかして 「達者に暮らすがよいよ」 という 言い回しに 彼女らしいなあ なんて 思っていた矢先 もしかしたらあれは 別れの意味だったんだろうか などと 思いながら 夜、上司との食事を終えて もう一度 手紙を眺めてみるとそこには 「またね」 の 文字が ああ、生きようと していたんだな と 少しだけ 安堵しました 生きている ということの 延長線上で 全てをひっくるめて その一瞬にたまたま とっても「ムリ!」がやってきて 彼女をここに留める 錨が たまたま彼女の肉体周辺に不在で それで 生きる を 背負ったまま たまたま旅立ってしまったんだろうと 今は思います 去る という 選択をしたわけではなく 「とってもムリ!」と 戦った末に たまたま去ってしまった のだと思うと 少しだけ 分かる気が します この理解が たとえ欺瞞でも 「またね」 は 今も 彼女の中に 生きていて 「またね」 ごと 彼女は 去ってしまったけれども 書き残してくれた「またね」は 単に実感が湧かないからだけかも 知れないけれども まだ ここには 生きている 彼女と 日々 近しく 生きてきた人たちが 少しでも心安く生きていきますように お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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