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うちのじゃんは
私の福井到着と ほぼ同時刻に逝去いたしました …犬に逝去、っておかしいのか? 3月に具合が悪くなって 手術はしてみたものの 「もう長くはない」と 言われていたので それから3ヶ月元気に過ごしてくれて 私の到着まで待っていてくれたので (じゃんが動かしている肉体には会えなかったけど) みんなは「残念だったね」 と言ってくれるけれども 多分私の強がりではなく ちっとも残念ではない今があります 大変信頼している獣医さんに どういう治療がしたいのか、したくないのか (じゃんの場合、病状が悪く、選択肢はあまりありませんでしたが) きちんと相談に乗ってもらい 私と同じく、基本的に安楽死には反対 という彼をして 今回は 安楽死を視野にいれてもおかしくない状態だし (木曜日の夜に電話で話したときに) 週末まで持つかどうかも分からない とまで言わせたほど悪い状態でしたが じゃん、あるいはじゃんの肉体が ぎりぎりまで私を待ってくれて 自分で肉体を離れていったことを 喜ばしくすら思います 土曜日の肉体との別れの際には 父親は立ち会えませんでしたが 6月から富山に赴任先が変わり これまでよりも遠いため 月に1度しか福井に帰らない父親が 水曜日にたっぷり散歩して いつになく夜中までたーっぷり遊んで さーて木曜日は朝早くに福井を出て富山に行かなきゃー という その明け方に発作が起き 出掛けまで父親がついていたということで なんともまあ 満足して去ることに決めたんだろうなあ、と 発作起こしたのに 朝の5時にはちょっと復活してご飯も食べたらしいし …さすが食い意地じゃんたろう むしろ 満足したから去ることにしたのかも知れません 土曜日の朝 私が関空に着き 母親に電話で 福井には11時11分に着く予定 と知らせ 病院から家に 息を引き取りました と 電話があったのが11時10分すぎ じゃんが電話を聞いていたようなタイミング その後 再度電話があって まだわずかに心臓が動いていますので 看取ってやってください と。 一方 私が乗っていた電車は 急病人が出たことで臨時停車し 福井着が15分遅れ 日本の携帯がないために 電車の遅れの状況を伝える術もなく ただ悶々と電車の中で座っていることしかできず ようやく着いた頃に じゃんも鼓動をやめたのだと思います 病院の診察室に飛び込んだときには まだほんの少し じゃんの動かしていた肉体のぬくもりが残っていました 余談ですが そのときじゃんは心拍測定器?みたいなものをつけられていて 私が部屋に入ったときには心拍数0 その後、車をとめた弟とついて来てたばあちゃんが入ってきて ばあちゃんが「死んでもたな~」と泣いていると 測定器が72を示している! なにゆえ?! と 思ったら ばあちゃんがじゃんを揺さぶっていたのでした 笑 その後 呼吸がかすかにあることに弟が気づいたのですが それは人工呼吸器なのでした 笑 にしても バンコクに戻ってきて ようやく実感がわいたりしてるのですが 今回は やっぱり帰ってとてもよかった と 思っています なーんで私がこんなに犬猫を大切に思ってしまうのか考えたのですが それはやっぱり コミュニケーションが 肉VS肉でしか成り立たないから だと思います 人間は 現代であれば 手紙だったり電話だったり 最近であればメッセンジャーやらスカイプやらで 肉と肉を近づけることなく意思疎通をすることができてしまう し 昔であっても どうして今あの人がここにいないのか 事前に伝えられれば理解することができる が しかし! 犬猫(他の動物もだけど)は 今 ここ に いなければ どんな正当な理由があるにせよ コミュニケーションが成り立たない! その歯がゆさが 私を犬猫バカに… ということで 抜け殻であれ何であれ 私の肉体を移動させて 会いに行ってよかったな、と あー、だから 血肉っぽい匂いのする人には 思わず足しげく会いに行ってしまうのかなー (私にしか分からない「血肉っぽい」人評定) ということで やっぱり犬は偉大である 生きててよかったっす と 右往左往した挙句に 脈絡のない着地点にたどり着いたりします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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